# [[フランス料理]]の歴史
## 概要
このノートでは中世以降の[[フランス料理]]の歴史をまとめる。
## 詳細
### 中世
[[フランス料理]]の源流は14世紀頃、宮廷料理に端を発する。
当時はまだマナーや作法などは存在せず、様々なメニューがテーブルに並べられた。食器の使用も稀で、硬い平板状のパンが皿として用いられていた。ナイフやフォークの使用も一般的でなく直接手づかみで食べるのが普通だった。
当時の代表的なシェフは[[ギヨーム・ティレル]]であり、彼が著した[[📘『ル・ヴィアンディエ』]](原題『Le Viandier』)は料理史における重要な一冊とされる。そこには東方貿易で入手した高価な香辛料(胡椒、シナモン、ナツメグなど)についても記されている。食料の保存性を高める目的で多用されたが、当時の貴族たちの富と権力の象徴としての意味合いもあった。
### 近世
フランスが食文化で勢力を持ち始めるのは16世紀のこと。
1533年、後にフランス王となる[[アンリ2世]]の妃としてイタリア人である[[カトリーヌ・ド・メディシス]]が輿入れした。これはイタリアの[[ルネサンス運動]]が勃発した時期と重なる。カトリーヌの生家であるメディチ家は当時勢力を誇った北イタリアの商業都市フィレンツェの支配者だ。[[サンドロ・ボッティチェッリ]]、[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]、[[ミケランジェロ]]など当時の巨匠たちのパトロンでもある。
文化先進地から来たカトリーヌお抱えのイタリア料理人たちはフランス宮廷に当時最先端の食文化を伝えた。フロランタン、サバイヨン、フィナンシエ、マカロン、氷菓など様々なお菓子の製法から、食器、カトラリー、テーブルマナーまで。
17世紀になるとフランス主義の復興が重んじられ、イタリア料理からの影響下から離れていく。
特に[[ルイ14世]]の時代には、ヴェルサイユ宮殿にて大規模な晩餐会が開かれ、フランス料理の華やかさが増していく。彼の料理人[[ラ・ヴァレンヌ]]は[[📘『フランスの料理人』]](原題『Le Cuisinier François』)を出版した。それまでの調味料は香辛料が中心だったが、バターやクリームを用いたソースの開発へと移行した。
そしてフランスの伝統的な高級料理の様式である[[オートキュイジーヌ]]がこのころに成立する。ワインとチーズ文化、パティスリーもこの時期から発展していく。
### 近代
1789年、[[フランス革命]]で絶対王政が倒され共和制になると、それまで宮廷に努めていたシェフたちが失業し、街中でフレンチレストランを開業した。
こうして美食文化は市民にも広まり、カリスマ的なシェフも登場するようになる。特に[[アントナン・カレーム]]はシェフの帝王と称えられ、その著書の中で洗練されたメニューとレシピを数多く紹介し、フランス料理の近代的発展に大きく貢献した。
### 現代
近代から現代の流れの中で、フランス料理は外交儀礼や社交のための晩餐会料理として世界中に広まった。そうして料理自体が一種の権威を持つようになった。
## 関連ノート
- [[📘『ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50』]]
## 関連リンク
- [フランス料理 - Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E6%96%99%E7%90%86)
- [意外に知らないフランス料理の歴史とは? | リゾート気分で楽しめる、熊谷のフレンチレストラン アミュゼ](https://www.amusez.jp/blog/1969/)