# 哀悼可能性 ## 概要 ある人が死んだとき、その人が哀悼されるに値するか、という性質を指す概念。 [[👤ジュディス・バトラー]]が提唱した。 ## 詳細 ### 哀悼可能性が浮き彫りにする不平等 バトラーは、ある人間が哀悼されるに値するか否かを判断する客観的な根拠など存在するのだろうかと疑問を呈す。 バトラーによれば、そうした理由はそもそもない。ある人を哀悼可能とみなし、ある人を哀悼不可能とみなす、その区別を正当化できる根拠は存在しない。だからそうした区別は常に「不平等」なのであり、差別であり、「異議申し立て」を受けうるものである。 しかし、実際には誰の喪失が哀悼可能であるかは政治的・社会的な力関係によって決定されてしまう問題がある。例えば、同性愛者や人種的マイノリティの命などの生の価値は歴史的に貶められてきたといえる。 ## 関連ノート - [[📘『非暴力の力』]] - [[📘『生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ』]] ## 関連リンク