# 方法的懐疑
## 概要
[[👤ルネ・デカルト]]が提唱した哲学用語。
方法的懐疑とは、疑いえない確実な真理に到達するため、少しでも疑う余地のあるものをすべて退けていく懐疑の方法である。
デカルトはこの徹底した懐疑から確実性を見出し、ついにはかの有名な「[[我思う、ゆえに我あり]]」という哲学の第一原理に至った。
## 詳細
### [[📘『方法序説』]]での記述
[[📘『方法序説』]]では以下のような懐疑を経て「[[我思う、ゆえに我あり]]」へと至る。
懐疑の過程で感覚、幾何学、目覚めている時に持つ思考、そのすべてを偽として退ける。
>[!cite]
> 生き方については、ひどく不確かだとわかっている意見でも、疑う余地のない場合とまったく同じように、時にはそれに従う必要があると、わたしはずっと以前から認めていた。これは先にも述べたとおりである。だが当時わたしは、ただ真理の探究にのみ携わりたいと望んでいたので、これと正反対のことをしなければならないと考えた。==ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない、と考えた==。こうして、感覚は時にわたしたちを欺くから、感覚が想像させるとおりのものは何も存在しないと想定しようとした。次に、幾何学の最も単純なことがらについてさえ、推論をまちがえて誤推理(誤った推論)をおかす人がいるのだから、わたしもまた他のだれとも同じく誤りうると判断して、以前には論証とみなしていた推理をすべて偽として捨て去った。最後に、わたしたちが目覚めているときに持つ思考がすべてそのまま眠っているときにも現れうる、しかもその場合真であるものは一つもないことを考えて、わたしは、それまで自分の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。
>
> 引用:[[📘『方法序説』]] (岩波文庫、Kindle版) 第四章 P36-37より
> 傍線は筆者による。
## 関連リンク
- [方法的懐疑 - Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E6%B3%95%E7%9A%84%E6%87%90%E7%96%91)