# 2025-01-20 [[📘『なぜ男女の賃金に格差があるのか 女性の生き方の経済学』]]を読む [[👤ベンジャミン・フランクリン]]は言った。「Time is money」と。 この言葉が真であるならば、男女の賃金に格差がある理由には「時間」が関係していると推察できる。実際はどうなのだろうか。 ## 書籍紹介 [[📘『なぜ男女の賃金に格差があるのか 女性の生き方の経済学』]]は、そのことを考えるうえで役に立つ、一世紀に渡る膨大なデータを紹介してくれる。 作者の[[👤クラウディア・ゴールディン]]は2023年にノーベル経済学賞を受賞している。ミーハーな私はだから本書を手に取ったのだが、受賞理由として==「女性の労働市場における成果についての理解を前進させた」==とある[^1]。本書を読んだことで彼女の仕事の一端を垣間見ることができた。 原題は「**Career and Family: Women's Century-Long Journey toward Equity**」――「**キャリアと家庭:女性たちの平等へ向かう100年の旅**」だ。日本語訳にあたって日本の読者の注意を引くためにタイトルを大胆に変えたのだろう。 正直、この邦題はイマイチ。「なぜ男女の賃金に格差があるのか」という話題は本書の中で決してメインではない。全10章の中でこの話題に触れられるのは第8章くらいだ。注釈を除いた310ページ中の約30ページくらい。この話題だけを求めて読むにはやや重すぎる本である。 >[!info]+ > ![[📘『なぜ男女の賃金に格差があるのか 女性の生き方の経済学』#目次]] やはり本書のメインとなる話題は原題である「キャリアと家庭」だろう。20世紀を生きた大卒女性を世代ごとに5つのグループに分け、各グループごとに「キャリアをとるか、家庭をとるか」についての欲望(テーマ)を以下のようにまとめる。 | グループ | テーマ | | ------------------ | ------------ | | 第1グループ:1900-1910年代 | 「家庭かキャリアか」 | | 第2グループ:1920-1930年代 | 「仕事のあとに家庭」 | | 第3グループ:1950年代 | 「家庭のあとに仕事」 | | 第4グループ:1970年代 | 「キャリアのあとに家庭」 | | 第5グループ:1980-1990年代 | 「キャリアも家庭も」 | 目次から分かるように、グループごとに1章ずつを割いてその歴史を辿っていく構成だ。 グループごとに当時のフィクション作品に登場する働く女性像を挙げてイメージを共有しつつ、多くの人口統計データや経済データに裏付けされた考察がなされる。 本書の前提となるルールとして次の3点を抑えておく読み進めやすいだろう。 1. 家庭とは結婚し、子を持ち育てる状態を指す。 1. キャリアと仕事(Job)を以下のように使い分ける。 - **キャリア**は、長く働けて、人気の高い職種であり、それが自分のアイデンティティを形作ることが多い働き方。一定期間の継続が必要。 - **仕事**は、一般的に自分のアイデンティティや人生の目的の一部にはならない。しばしば収入を生み出すためだけのもので、一般的にははっきりした節目を持たない。 1. アメリカの大卒女性に焦点を絞った話である。 ## 本書のハイライト 個人的に、本書のハイライト次の3箇所だ: 1. 第2グループの考察(第4章) 2. 第4グループの考察(第6章) 3. 「なぜ男女の賃金に格差があるのか」の考察(第8章) このノートではこの3箇所について、面白いと感じたポイントを簡単にまとめたい。 ### マリッジバー(結婚退職制) ほんの50年くらい前までは地域によって既婚女性に対して雇用を制限する慣行があった。それを[[マリッジバー]]という。 この差別的な慣行により女性がキャリアを持つ機会は失われ、「女性は家庭で子育て」という規範が強化された。第1グループのテーマが「家庭かキャリアか」と二者択一構造なのは[[マリッジバー]]の存在が理由の一つである。結婚をしたら(家庭を持ったら)仕事に就けない、または既存の仕事を解雇させられてしまうのだ。 第2グループは過渡期。1910年代から1920年代にかけて大規模な分業化が進み、オフィスに産業革命が起こった。労働者の需要が大きく押し上げられたのだ。 すると女性を労働力としてより使いたくなるため、[[マリッジバー]]などと言ってられなくなる。オフィスや販売員の需要が増えたことで、女性が就ける高い給料の仕事が増えた。 しかし1930年代に世界大恐慌が起こる。失業が増えると「既婚女性は夫に養ってもらえる」というロジックで[[マリッジバー]]が正当化され、またその存在が大きくなってしまったのだ。 このあたりの「既婚女性の権利」にまつわる綱引きは、現在では想像しにくいが、だからこそ示唆に富む話であった。 ### ピルと晩婚化 第4グループの女性は[[ピル]]という強力な武器を手に入れる。これまでの避妊法と比べて、女性側がコントロールできる優れた避妊具だ。 加えてより安全で合法な人工妊娠中絶が晩婚化を可能にした。結婚を先延ばしにして出産を遅らせることができるようになった。 つまり、20代前半から30代中盤までの時間をキャリアの形成に費やせるようになった。すると出産してからでも仕事を継続するに見合った高収入の職業に就くことができるようになったのだ。 しかし当時はまだ、出産を遅らせることが不妊につながるというデータが不足していた。「不妊」というテーマが新聞や科学論文、一般紙で取り上げられるようになったのは1990年になってからだ。 「キャリアのあとに家庭」というテーマで動いていた第4グループの女性の多くは、結果として家庭を諦めることになったケースも多かった。 しかし、意外なことに第5グループの女性は第4グループの失敗を見て「さらに出産を遅らせた」。いずれは子どもを持つという決意を強くした上で、不妊治療技術の未来を信頼する選択をしたのだ。結果、26歳までは第4グループのほうが多く出産していたが、30代半ばを過ぎた頃には第5グループが大きく逆転し、40代までに家庭を持つ人が増えたのだ。 つまり第5グループの女性は第4グループの女性よりも出生数を増やしつつ、より高度な学位とキャリアを持つことができるようになったのだ。 本書が(経済書であるにもかかわらず)感動的なのは、こうした前世代の成功や失敗が次世代へと受け継がれ、==バトンリレーのように女性の権利や自由が前進していく様子が見えてくる==ところだ。 まさに原題の副題に当たる「女性たちの平等へ向かう100年の旅」が描かれるのである。 ### なぜ男女の賃金に格差があるのか それでは最後に邦題の話題について私なりにまとめよう。なぜ男女の賃金に格差があるのか? はじめに釘を刺す。多くの人がその原因について「職業的分離」、つまり男女では就く職業が違うから賃金に格差があるのだ、という説を考えがちだ。しかし、著者は職業的分離は現在の男女の賃金差の3分の1ほどしか説明できないという。それは、たとえ職業的分離を力技で解消したとしても、男女の賃金格差は3分の1しか縮まらないことを意味する。 つまり、あらゆる職業内に埋まらない3分の2に相当する男女の賃金差があるのだ。その差はどこから来ているのか? ずばり、==労働時間の差==である。 単純な事実だが、女性は出産後に男性よりも労働時間が減少する。そして一部の高収入な職種(弁護士、会計士、医師、金融分野など)は、たとえ短期間であってもキャリアを中断したり、長時間の労働をしない従業員に対して大きなペナルティを与えがちなのだ。 では、なぜ夫婦において女性の方が男性よりも労働時間が減少するのか。より踏み込んでいえば、なぜ女性の方が男性よりも仕事を減らすという選択をしがちなのか。 そのあたりの細かな論理はここではまとめきれないため、興味がある方は本書を読んでもらうとしよう。しかし、それら論理の背景に、女性は子どもや家族に対してより多くの責任を負っているという伝統があるという事実は飲み込んでいただけるだろう。 家庭の責任に男女差がある。その結果として女性は労働時間が短く、拘束時間が少なく、スケジュール調整がしやすい職業や働き方を好んで選択するようになる。こうして男女で労働時間の差が生じ、賃金差へと繋がっていく。 あまりにも当たり前で単純な話のように思う。しかし、第8章に掲載されるMBA(経営学修士)取得者を対象とした経過年数を横軸とする男女の年収比率のグラフがかなり衝撃的だった。「当たり前」と舐めてかかってよい差ではないことを痛感させられるものであり、本書のハイライトの一つとして挙げたい。 ## まとめ このノートで挙げた以外のグループについての考察や、第9章で紹介される仕事の構造変革により男女の賃金差の縮小に成功した薬剤師のケースについてなど、まだまだ面白い話題が多くある書籍だ。 先に挙げたとおり、邦題のノリで読み始めるとちょっと辛いかもしれない。なのでここでは「**キャリアと家庭:女性たちの平等へ向かう100年の旅**」というタイトルとしてオススメしたい。 邦題のついでに校閲についてもひとつ愚痴を述べると、いくらか誤りっぽい記述もある。 Amazonレビューなどでもいくつか誤りが指摘されているが、私自身も原文がどうなっているのか気になってしまう箇所を見つけてしまったということは、オススメする以上は記しておきたい。 ![Xユーザーのこーしんりょー@SpiSignalさん: 「『なぜ男女の賃金に格差があるのか』。内容は面白いが翻訳の問題か読みにくいと思いながら読んでる。『ゲティ家の身代金』再撮影のエピソードでミシェル・ウィリアムズが10万ドルを得たと書いているがネットで調べると1000ドルという報道しか出てこない。原文がどう書かれているか気になってしまう。」 / X](https://x.com/KO_SHIN_RYO/status/1879370042040832456) ![[📘『なぜ男女の賃金に格差があるのか 女性の生き方の経済学』#関連リンク]] [^1]: [The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 2023 - NobelPrize.org](https://www.nobelprize.org/prizes/economic-sciences/2023/summary/)