# 2025-02-02 [[🎞️『嗤う蟲』]]を観る
## 感想
劇場で鑑賞。

### 村怖いスリラー
王道の村怖い系のスリラー映画だ。
夫婦と犬、車に乗って、期待を胸にこれから恐ろしいことが起こる舞台へ。[[🎞️『ファニーゲーム』]]を想起させられるはじまり。村を通過する車を捉えながら、鳥よけCDが妖しく光る畑、住人たちの後ろ姿、そしてタイトル。ゾクゾクするタイトルシークエンス。
監督は[[城定秀夫]]、ハズすことはないだろうと観に行ったがやっぱり面白い。テキパキとした話運びや演出で、登場人物や舞台の設定が話の流れの中でスルスルと頭に入っていき、何も怖いことが起こらないうちから後々の恐怖への前振りが散りばめられる。
### 恐怖の対象は、個人の自由を奪う共同体
都会から訪れた夫婦はいわゆる「先進的」な存在。この世界の法的にはどうなっているかわからないが、夫婦で別姓を名乗っており、表札も「上杉」「長浜」とふたつ掲げている。
主人公である妻の杏奈はイラストレーターで在宅ワーク、田舎暮らしをキラキラと美化してSNSでシェアし、子どもが生まれても仕事は絶対に諦めたくない。先進的であることを少々誇張して見せることで、少しだけ鼻につくキャラクター造形となっている。
「村怖い」という感覚は、都会に住む人間が面白がるとき、そこには当然ながら差別的な構造がある。主人公夫婦を先進的な存在であると誇張して描くことで、本作はその構造を見えやすくしている。近年の類作では[[🎞️『理想郷』]]と近い仕掛けだ。
先進的(もう少し踏み込んで言えば「リベラル」)な主人公にとって、大切な価値観は「私個人の自由」だ。
夫婦別姓をあえて設定に盛り込んでいるのは、現代日本においていまだ達成されていない自由の象徴として分かりやすいからだろう。そして、個人の自由というものは(保守的・家父長制的な)共同体と衝突しがちなものだ。ここでの共同体とはムラ社会のことでもあれば、夫婦関係のことでもある。
本作が「村八分」をテーマに描こうとしているもの。それは、既存の共同体とそこに根付く強固な権力によって、個人の信念が屈してしまうという恐怖であると見た。
しかもその支配体制も決して完璧なものでない(途中、村側にとっても予期せぬトラブルが起こる)という点も重要だ。この程度の権力や圧力であっても、個人である私たちは簡単に屈してしまうかもしれない、という絶望を深めさせるからだ。
## 情報
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