# 2025-02-09 [[🎞️『ハイパーボリア人』]]を観る ## 感想 劇場で鑑賞。短編[[🎞️『名前のノート』]]と同時上映。 ![Xユーザーのこーしんりょー@SpiSignalさん: 「『ハイパーボリア人』観た。意味不明すぎてニッコニコ。それでも『オオカミの家』よりは作り手からの歩み寄りを感じることができた。次に何が起こるか予測できないことを楽しいというならば、本作はきっと楽しい映画だ。好き。」 / X](https://x.com/KO_SHIN_RYO/status/1888432257121354006) ### 今作も大満足の意味不明さ 監督は一昨年日本公開された[[🎞️『オオカミの家』]]の記憶が新しい[[クリストバル・レオン]]&[[ホアキン・コシーニャ]]のコンビ。今回もまた観たことのない変な映像の連続で楽しい映画だった。 [[🎞️『オオカミの家』]]でも映像に驚かされたが、その内容はほとんど意味不明だった。この経験から、彼らの映像は初見では意味不明、という心構えができていたこともあって、鑑賞直後の感触は今作のほうが良かったように思う。 彼らの作品が(少なくとも私には)意味不明なのは次のふたつの特徴による。 1. 映像技法があまりに独特過ぎる 2. チリの近代史についての言及・隠喩がふんだんに盛り込まれている 映像技法が独特過ぎる点。 [[🎞️『オオカミの家』]]では部屋全体のいたるところが毎フレームごと変化していくとんでもないストップモーションアニメだった。 [[🎞️『ハイパーボリア人』]]では俳優を置きながらも人形劇的な演出を中心に様々な技法を駆使した不気味な映画が展開されていく。 見たことのない映像の連なりだからこそ、過去の映像体験から体得した文法はあまり通用しない。だから「この映画はどのように観ればよいのか」を考えながらノンストップで追いかける必要があるわけで、ところどころ振り落とされても仕方がないというものだ。 チリの近代史についての言及・隠喩。 そもそも日本から見れば地球の反対側にあるチリという国についてほとんど知識がない。[[🎞️『オオカミの家』]]の際も、鑑賞後に調べたことで初めてチリとナチス・ドイツとの関係や[[コロニア・ディグニダ]]について知った。 今作もやはりナチスの影がありながら、チリの政治家や作家の名前や、社会運動についての言及が散りばめられている。パンフレットも購入したので、これらの要素が本作のインスピレーションにどう繋がっているのか調べるのが楽しみだ。 ### 意味不明なその内容 女優の[[アント―ニア・ギーセン]]が本人役で出演。心理学者だという彼女の患者が語る幻聴について、監督であるレオン&コシーニャに相談したところ、彼らは思うところがあってそれを映画にしようという。 こうした過程を経ていま観客が見ているセットが作られ、[[アント―ニア・ギーセン]]自ら演じるこの[[🎞️『ハイパーボリア人』]]という映画が始まる。しかし、だんだんとこの映画は不穏な方向へと進んでいく、という内容だ。 私が観た限りにおいて、彼らの映画は常に「この映像がなぜ存在するのか」というウソを劇中で言及する。[[🎞️『オオカミの家』]]でも[[コロニア・ディグニダ]]が宣伝用に制作した映像であるという体裁を採っていた。 我々が観ているレオン&コシーニャが制作した映像の外側にもまたフィクションが仕込まれている、というメタ的な仕掛けであり、それは[[🎞️『ハイパーボリア人』]]でも健在だ。 途中、[[アント―ニア・ギーセン]]に演出指導をする監督の声が何度か挿し込まれ、この映像が作り物であるということをこれでもかと強調する。終盤の展開を考えると、この演出は映画の監督と役者の間にある支配・被支配の構造を示しているのかもしれないと思った。役者がどれだけ疑問を抱いたとしても、監督の声は絶対。そんな声に導かれて行き着く先は……。 劇場館は都内では二館のみ。[[📍シアター・イメージフォーラム]]で鑑賞したが、地下のスクリーンへと降りて、終わってから地上に上がる感じが実は本作の行き着く先と合致していて、これまた不思議な鑑賞体験だった。 ## 情報 ![[🎞️『ハイパーボリア人』#予告編]] ![[🎞️『ハイパーボリア人』#主要スタッフ]] ![[🎞️『ハイパーボリア人』#関連リンク]]