# 2025-03-20 [[🎞️『ジュ・テーム、ジュ・テーム』]]を観る
![[ネタバレ#^warning]]
## 感想
劇場で鑑賞。

### 時間SFの古典的カルト映画
1968年製作のフランス映画。時間SFのカルト映画ということで近年世界的な評価が高まっているという。
日本での劇場公開は今回が初めてということで、近年流行りのリマスターやリバイバルとは少し違う枠となる。
時間SFということで好みではないかとフォロワーから紹介いただいた。
すっかりチェックが漏れていた一作だった。都内では[[📍角川シネマ有楽町]]が本日最終日だったため駆け込んだ。
### ランダムに飛ばされる時間旅行
時間旅行研究の被験体となったクロード([[👤クロード・リッシュ]])。
一年前の時間に一分間だけ滞在して現在に戻るという想定だったが実験は失敗し暴走、彼の過去の様々な時間に次々とランダムに飛ばされてしまう、というのが映画のあらすじだ。
本作が描く[[タイムトラベル]]の解釈は難しい。妙なマシンに入れられたクロードは時間旅行とともに現代からその肉体が消失するが、飛んだ時間の自分の肉体に精神が入るといった表現がされている。
基本的に飛んだ先で自らが時間旅行をしているという記憶は維持されないようで、何らかの外部的な要素が入り込むことでそのことを自覚できるようだ。例えば、クロードといっしょにタイムマシンに入れられたネズミが過去のビーチに現れた(ネズミは肉体ごと時間移動している?)とき、彼は違和感を抱くことになる。
とまあ本作の[[タイムトラベル]]描写について簡単に説明してみたが、本作の肝は[[タイムトラベル]]というギミックを用いることで、ある個人の記憶とはいったいどのようなものなのかを描き出そうとしているのではと思った。
基本的に映画は、複数の映像を、作り手が意図したように時間軸に並べることで物語る。
本作の[[タイムトラベル]]描写における編集もこの基本に則る。ただし、ひとつだけ本作ならではのルールがある。クロードが時間旅行した先には、映画におけるワンショットだけしかいることができない。つまり、ショットが切り替わるとクロードは次の時間旅行先へと飛んでしまうのだ。
観客からすればその飛び先はランダムのように見える。時間の前後関係もわかりにくく、ショットが変わる度にぜんぜん違う場所でのシーンが展開される。ときには以前見たシーンと同じシーンへと飛ぶことすらある。
この一見ランダムに思える時間旅行は困惑を誘うが、同時に一見ランダムに思えるからこそ届きうる作り手の意図へと思いを巡らせる。少なくとも、ひとつだけこのカオスの中でも理解できることがある。それはクロードがカトリーヌという女性を深く愛していたということだ。本作のドラマはそこを抉り出そうとしている。
### 後悔先に立たず
クロードが被験体に選ばれた理由は、彼が一月ほど前に自殺を図るも生き延び、それでいて健康な肉体を維持したからだ。生への執着が薄く、それでいて実験に耐えられると判断されてスカウトされた。彼は実験前の診察で「自殺は健康にいい」とうそぶいてみせる。
そして、そもそも彼がなぜ自殺未遂に至ったのかという理由が、ランダムな[[タイムトラベル]]の過程で見えてくる。彼はある後悔に苛まれた末に自殺という選択をしたのだ。
[[タイムトラベル]]という人類の夢。フィクションにおいて時間旅行という夢物語が繰り返し語られるのは、人生における後悔を解消したいという欲望を誰もが抱えているからだ。
しかし、本作の[[タイムトラベル]]にはクロードの後悔を解消するような力は持ち合わせていない。ただランダムに時間旅行をするだけだ。その末に、ついに彼が自殺未遂を試みるその瞬間へとシーンは移動する。暴走した実験を止めるトリガーは、クロード自身が引いたのだった。
### 編集が作るカオスに魅入られて
この映画を観ずに上記の説明だけでどのような映画なのか、はたして伝わるのだろうか。相当カオスな作品であるということだけは伝わっていてほしい。
本作はかなり実験的な映画で、映画の編集が実現できることを拡張しようという野心がうかがえる。
ショット単位でシーンの時間がバラバラにジャンプするため、鑑賞しながらそれらを一本筋の通った物語へと頭の中で再構成するのは一回観ただけではほとんど不可能だろう。
パンフレットを購入したが、ありがたいことに作中のタイムラインが全ページに渡って掲載されていた。本作が配信されたらこのタイムラインとにらめっこしながら時系列順に並べ直してみるのも面白そうだ。
## 情報
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