# 2025-03-20 [[🎞️『プレゼンス 存在』]]を観る
## 感想
劇場で鑑賞。

### 実験映画二本立て
この日は[[🎞️『ジュ・テーム、ジュ・テーム』]]に続いての鑑賞。実験映画二本立てだ。
>[!check]
> [[🎞️『プレゼンス 存在』]]が撮影についての実験映画ならば[[🎞️『ジュ・テーム、ジュ・テーム』]]は編集についての実験映画だ。
> - [[2025-03-20 🎞️『ジュ・テーム、ジュ・テーム』を観る]]
本作の実験はずばり、カメラを劇中のキャラクターにすること。つまり主観ショットで何ができるかの実験だ。
### POV映画
全編[[POV]]で撮られた映画は[[🎞️『ハードコア』]]などいくつか類例が思い浮かぶが、本作はそれがある家に憑いた幽霊の視点であるという点が特徴である。
非人間的な滑らかさで家の中を移動する撮影は他にはない気味悪さだ。特に序盤、一家がその家の内覧に来たシーンの長回しはその段取りの複雑さ含めて見応えがある。
視点の主である幽霊はもちろん言葉を発さない。その存在を察している登場人物もいるが、それを見ることはできない。しかし、それでも幽霊にはなんらかの目的があるということが、観客にはカメラワークとそこで起きる現象だけで示唆される。この点は本作特有の面白さだ。
しかし残念ながら、上記のような序盤のセッティングと、撮影のテクニカルなポイント以外にあまり面白みを見出すことはできなかった。
親友を亡くしたばかりの娘、水泳選手として母親からの期待を背負う息子、両親の不和……そういった家族のドラマを語りきるには、本作の実験的な手法はあまり食い合わせがよくなかったのかもしれない。
また、映像手法としてもより「幽霊らしさ」というか、視点の主のキャラクター性を強調することができたのではないだろうか。
本作の幽霊は壁を貫通して移動することはできないようで、一階から二階への移動も人間が通る階段部分を律儀に通ってみせる。それはよいのだが、クライマックスの緊迫したシーンでは、たとえば吹き抜け部分をショートカットするなどのやり方で撮影技法としての面白さと同時に幽霊の焦燥感を表現できたように思う。
そういうズルができないタイプの幽霊なのかもしれないけれど、まあ、そもそも幽霊はこの世に存在しないので、そこはフィクションとしての面白さを採ってもよいのではないかと感じた。
## 情報
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