# 2025-05-03 🎞️『異端者の家』を観る ![[レーティング#^r-15]] ![[ネタバレ#^warning]] ## 感想 劇場で鑑賞。 ![Xユーザーのこーしんりょー@SpiSignalさん: 「『異端者の家』観た。楽しく愉快な館スリラー。それ以上はインスタントに語ることはないかな。超好き。一番連想した作品は(館モノじゃないけれど)『ファイト・クラブ』。」 / X](https://x.com/KO_SHIN_RYO/status/1918629679386562594) ### 未知との遭遇 本作はある一軒家に宗教勧誘に訪れた若いシスター二人が、「異端者」(原題:Heretic)の男に閉じ込められてしまうスリラー映画だ。 はじめは人当たり良く二人を出迎える男、ミスター・リード([[👤ヒュー・グラント]])。女性がいない住宅へ入るのは規律上NGだからと激しい雨の中勧誘する二人だったが、妻がいるからと大丈夫と向かい入れる。ふたりのシスターは次第にリードの言動と家の様子に違和感を覚え、逃げ出そうとするが……。 宗教勧誘に訪れたシスターという設定が絶妙だ。[[スクリーム・クイーン]]たる若い女性。なおかつ世間一般にある程度のヘイトを集める……すなわち、その人が酷い目に遭うことに対して嫌悪感を覚えづらく、むしろある種の爽快感すら生じるキャラクター造形である。 ミスター・リードははじめから物理的な暴力を振るう人物としては描かれない。それでも彼が本作においてホラーの象徴とされるのは、[[モルモン教]](末日聖徒イエス・キリスト教会)を信仰するふたりのシスターに対して宗教的な論戦を仕掛け、じっくりと彼女らの信仰を揺さぶってかかるからだ。 人間にとっての恐怖のひとつとして「未知」が挙げられる。未知が恐ろしいものであるからこそ、ヒトは理性を用いて未知なる領域を減らすよう努めてきた。それが科学や宗教の発展を後押ししたと言ってよいだろう。納得したものは未知ではない、未知でないから怖くもない。 しかしリードは、[[モルモン教]]の歴史やその教義の穴を突くような質問をにこやかにぶつけてくる。自らが信じていた世界認識が揺るがされることで、ふたりのシスターに未知が甦る。 ### コピーとオリジナル 第二幕、シスターたちを家の奥へと導いたミスター・リードは、御高説のみならず家に設置されたさまざまなギミックを用いて更にふたりを追い詰めていく。 ギミックと言ってもそれは[[🎞️『ソウ』]]シリーズに出てくるような殺人トラップではない。例えば[[🎲『モノポリー』]]であり、例えば[[レディオヘッド]]の楽曲[[🎵『クリープ』]]だ。 これらの例から「複製」をテーマに[[モルモン教]]の弱みを視覚的・聴覚的に分からせようとしてくる。そのシークエンスで強く連想したのが[[🎞️『ファイト・クラブ』]]だ。その作品で語り手は、不眠症で<ruby>夢現<rt>ゆめうつつ</rt></ruby>の生活がまるで現実のコピーのコピーのコピーのようだと述べる。 つまり、複製品はオリジナルが持っていた価値の搾りかすでしかないという論法を仕掛けてくるのだ。 ここではたと気づく。第一幕では日本人には馴染みのない宗教的議論が中心であったため見えづらかったが、これらサブカルチャーを喩えに交えながら相手をやり込めようという論戦には身に覚えがあるぞ、と。そう、SNSで日夜繰り広げられるしょうもないレスバだ。 そこに至って、本作の恐怖の構造が[[マンスプレイニング]]にあるのではないかと頭をかすめる。 若い女であるお前は何も分かっていない。だから年長の男である私が教えてやろう。 身も蓋もない言い方をすれば、上記のような高圧さが本作の恐怖の一端にある。 信仰の揺らぎだとか、未知の復活だとか、そのような(特に日本人にとって)縁遠くて抽象的なものではなく、ただただ高圧的に説明・説得してこようとしてくる他者という身近な恐怖だ。 第三幕ではついに家の最奥へと至り、そんな恐怖の正体をただの一言でまとめ切る。 その光景のグロテクスさとともに、お見事と思わず膝を打った。 ## 情報 ![[🎞️『異端者の家』#予告編]] ![[🎞️『異端者の家』#主要スタッフ]] ![[🎞️『異端者の家』#関連リンク]]