# 2025-06-21 [[📘『数字まみれ 「なんでも数値化」がもたらす残念な人生』]]を読む
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> ![[📘『数字まみれ 「なんでも数値化」がもたらす残念な人生』#概要]]
## 感想
### 久々の読書
しばらくメンタル面を崩していて、とくに長文が読めなかった。
現在は復調気味で集中力も持続するようになったので、軽めの本をサクッと読む。
というわけで本書のテーマは「数値化」だ。スマホ社会の現在は歴史上もっとも「数値」が生活に隣接している。
SNSはフォロワー(友人)の数を数値化し、スマホの健康アプリは我々の身体情報や食事情報などを数値化する。また、我々も訪れた飲食店に対して評価という名の数値を入力することでやはり数値化する。
数値化は、複雑な事象を一目瞭然の指標にする。指標にできればこちらのもので、この数値が良い方向に遷移するように行動を変えたり、数値を参考に行動を選んだりすることで、以前よりも生活は改善されるはずだ。
だから、もっともっと、どんどん数値化を進めよう。それがここ15年ほどの、つまりスマホ時代のメインストリームな考えのように思う。
しかし、その流れに何も考えずに乗っかってもよいものだろうか? そう警鐘を鳴らすのが本書だ。
### エロゲーマーコミュニティにおける数値化
私がどっぷり浸かっているエロゲーマーコミュニティにおいても数値化にまつわるトピックがふたつある。
ずばり、[[#プレイ本数]]と、[[#作品評価]]だ。
#### プレイ本数
「私がこれまで何本のエロゲーをプレイしてきたか」を過剰に誇る者はいくらか見られる。
特にここ数年、[[美少女ゲーム履歴書]]という[[インターネットミーム]]が[[𝕏]]を中心に広がっており、自分のプレイ本数を自然に明示するきっかけが得られたことも大きいように思う。自己紹介ついでに、エロゲーマーとしてのひとつの「格」を測るものさしを渡すことができるのだ。
そこで本書の「**第3章 数字とセルフイメージ**」を読むと、まさに他人と比較可能な数字が確認しやすいことの危険性が語られる。まず手始めに、SNSでの「いいね」の少なさに絶望して自殺した若者の事例が紹介される。
比較は常に自分を気持ちよくはしてくれないことに留意すべきである。負ける機会が十分にありえるからだ。上を見れば謙虚な魑魅魍魎も跋扈しており、下手に数値勝負を仕掛けようものならば一捻りで消滅させられかねない。
そもそも人間は比較が好きな動物であり、身の回りの世界を理解するために他者が自分と同程度か、優れているか、劣っているかを知りたがる。
インターネットが登場する以前、その比較行為を担っていたのはお金だった。そしてお金の比較をするとき、人は計算高く、自己中心的になり、自分のことばかりに夢中になってしまう傾向があることが分かっている。
SNSにおける数字についても同様の傾向があることは想像に難くない。
以上をエロゲーマーに当てはめると、エロゲーマーとしてのセルフイメージをプレイ本数という数字に支配されてはいけない、ということになる。プレイ本数よりも、どんなエロゲーが好きかで自分を語る者のほうが好ましいと私も思う。
#### 作品評価
エロゲーマーコミュニティにおいて、[[ErogameScape -エロゲー批評空間-|エロゲー批評空間]]という老舗サイトが強い影響力を持っている。その影響のひとつが、「エロゲーを100点満点で採点する」という文化だ。
ところで私は、今年から文章表現の場を[[SpiSignal|当オンラインノート]]に切り替えて以降、エロゲーレビューに点数を記載することをやめた。その判断をするに至った考えについて、本書の「**第5章 数字と経験**」が大部分を代弁してくれた。
この章の冒頭で、著者が大規模なIT会議の講演を依頼された際、自腹では決して利用できないような高級ホテルに家族とともに無料で滞在することができたエピソードを語る。
その体験は素晴らしく、家に帰ったら友人たちにその話をすることを楽しみにしていたが、チェックアウト後にスマホに通知が。
そこには「当ホテルでのご滞在を評価してください」というメッセージ。滞在中のあらゆることをそれぞれ10段階で採点するという依頼だった。その採点を記入するうちに気になる欠点が強く意識されるようになり、それまで最高の体験だと思っていた滞在にもかかわらず、中央値は10のうちの8になっていた。
>[!quote]
> 評価が、文字通り、私の経験の質を落としていた。みんなに話をするのを楽しみにしていた状態、そのすばらしさをすっかり説明するのは難しいと感じていたほどの状態(おそらく身振り手振りも加えなければ追いつかなかった状態)から、たった1個のわびしい数字に切り詰められてしまったのだ。
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> 引用:[[📘『数字まみれ 「なんでも数値化」がもたらす残念な人生』]] P114-115
数字は物事を要約し、切り詰める働きがある。数字は繊細で豊かなものすべてを、単純で正確なものに変える。経験は多様であるが、数字はそれを小さくまとめてしまうのだ。
さらに、物事や経験に数字を当てはめる行為を繰り返す回数が増えるにつれて、時間とともにその数字は低くなっていく傾向が見られる。
例えば、[[Netflix]]の数十万件にのぼる映画評価を分析したところ、同じ人が新しい映画を採点していくたびに、高い数字を選ぶ確率がわずかずつ下がっていったという。
私たちは個々の経験を比較すればするほど、どの経験も特別なものとして目立つことが難しくなり、高得点が減っていく。そういうふうに基準点は少しずつ移動していき、一年前にある数字を付けた経験が、現在はそれよりも低い数字をつけざるを得なくなるなんてことも。そうして、はじめは楽しかったはずの経験も、最後には少しも楽しく感じられなくなってしまうこともある。
長年、100点満点でエロゲーを採点してきた私もこの感覚には身に覚えがあったため、この辺りの話には共感しかなかった。
そして、私がつけた採点は他者の経験にもお節介な影響を与えうる。
著者は数百人の人たちに新製品の板チョコを試食してもらう実験を行った。参加者を半分に分け、実際にチョコレートを味わう前に、半数には他の人たちの評価の平均が10点のうち5点に満たない低い値を、残る半分には他の人たちの評価の平均値は5点よりずっと高いと知らせた。それを聞いた後、参加者は実際に自分でチョコレートを味わって採点した。
すると、最初のグループがつけた点数は、後者のグループよりかなり低いものになった。また参加者に食べた感想を聞くと、低い点を伝えられた人は中途半端な言葉を用いて味を評価し、高い点を伝えられた人は熱のこもった言葉を使ってその味を表現したという。
以上より、全員が同じ板チョコを試食したのに、実際に味わう前に知った数字によってまったく異なる経験をすることになったのだ。
これは数字が持つ明確さによる影響の強さを感じざるを得ない実験だ。私がエロゲーの評価に言葉を尽くしたとしても、たぶん点数のほうが他者に与える影響が大きい。正直、それは本意ではない(私は自分の言葉を重視したい)ので、自分のレビューに数字を付すのをやめる選択をしたのだった。
### おわりに
今回は本書をきっかけに私にとって身近な話題であるエロゲーマーコミュニティにおける数値化について語ってみた。
勘違いしないでほしいのは、本書はすべての数値化を諌めようという本ではない。数値化が生活を豊かにするケースももちろん多く存在する。あくまで、何も考えずに「なんでも数値化」という流れに対する問題意識だ。
そして、人は流されやすいためこの手の読み物に出会わないとなかなかその問題点を意識できない。あなたもエロゲーマーのプレイ本数や、作品の点数について少しでも違和感を抱いたことがあるのであれば、本書に手を伸ばしてみると色々な示唆が得られるだろう。
## 情報
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