# 2025-06-26 [[📘『オーバードーズ くるしい日々を生きのびて』]]を読む
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## 感想
フィクションにおいても[[オーバードーズ]]に走る若者の姿を目にする機会は少なくなく、その描写から現代の問題として関心があったため本書を手に取った。
辛い現実に直面した若者の[[オーバードーズ]]は、その行為の危険性にもかかわらず、実際には生き延びるための手段となってしまっているという逆説性がある。
死にたいという思いと生きたいという思いの狭間で行われる市販薬の過剰摂取は、苦痛の軽減であり、SOSの発信であり、同じ辛さを抱えた仲間とつながる手段なのだ。
SNSでの情報発信に加えてドラッグストアの激増もあり、[[オーバードーズ]]の間口は近年広がっている。比較的安価で違法性もないからこそ、若者にとって「生きるための手段」として見出されやすい。
そのような手段が必要となってしまうのは、この社会のそこここに生きづらさがあるからだ。だからこそ[[オーバードーズ]]には苦しい日々を生き延びるための回復の第一歩であるという考え方もある。
しかし、日本における薬物乱用防止教育は「[[ダメ。ゼッタイ。]]」という標語に代表されるように、薬物の危険性を強調する「脅し教育」の側面が強い。
そもそもの乱用を防ぐ予防活動も大事だが、それだけでは実際に生きづらさを抱える生徒たちはどうすればよいか分からなくなる。
加えてこのような学校教育により依存症当事者への偏見を助長し、相談しにくさを強化し、社会復帰の妨げになっていると指摘する。
依存症の治療において[[ハームリダクション]]という、依存状態をやめさせることを目的とせず患者への支援を続けるアプローチが世界的に広がっている。歴史的に依存症に対して不寛容な政策をとってきたアメリカもこの方向に移行しはじめているという。
しかし、日本では上記のような教育の影響もあってこの考え方がなかなか浸透しない。生きにくさから依存症に陥ってしまった人を懲らしめるような方策で依存症が治ることはないというのは私の直感としても正しく思う。大切なのはやはり寄り添いだ。
本書では以上のような議論のほか、複数の[[オーバードーズ]]経験者への取材を通してこの社会でどのような支えが必要かのヒントを引き出す。
読んでいて辛いエピソードも多いが、それを引き出せたのは苦しんでいる人々へ著者が親身に寄り添ってきたからだろう。
印象に残った言葉が「自殺リスクの高い子どもの背景には自殺リスクの高い大人がいる」というものだ。[[オーバードーズ]]が若者の問題ではなく社会全体の問題であることを強く意識させられた。
## 情報
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