# 2025-07-12 [[🎞️『スーパーマン』(2025年)]]を観る
![[ネタバレ#^denger]]
## 感想
劇場で鑑賞。[[IMAX]]版。

### 新生[[DCユニバース]]堂々スタート
1978年の[[🎞️『スーパーマン』(1978年)]]以降、2度目のリブートとなる本作はタイトルに何の装飾もなくシンプルに[[🎞️『スーパーマン』(2025年)|🎞️『スーパーマン』]]とし、ここから新生[[DCユニバース]]としてフランチャイズを始動させる。
監督・脚本は[[DCユニバース]]全体の統括も兼ねる[[👤ジェームズ・ガン]]。
B級映画専門スタジオの[[トロマ・エンターテインメント]]出身で、15年前には[[🎞️『スーパー!』]]という超低予算ヒーロー映画[^1]を撮っていたことを思うと、そこからアメコミヒーローの王様である[[スーパーマン]]を撮るというのはとんでもない大出世だ。
[[🎞️『スーパー!』]]が大好きな私としても喜ばしいことだがこの15年間での[[🎞️『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』]]シリーズの批評的・興行的大成功や、[[🎞️『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』]]での仕事を考えれば納得の人選である。
そして今回も[[👤ジェームズ・ガン]]は大きな仕事を成し遂げた。
本作は間違いなくヒーロー映画としても、フランチャイズ映画の始動作としても、完璧な出来だった。
### 現代に生きる超人とヴィラン
本作の[[スーパーマン]]([[👤デヴィッド・コレンスウェット]])は地上最強の力を持つ。
しかし、彼がヒーローであるのは力を持っているからではない。目の前に命の危機に瀕した人や生命がいる。それを救い助けるからこそ彼はヒーローなのだ。
本作の[[スーパーマン]]は人間らしい弱さを持つ。
たとえ個として最強であったとしても、「群れ」としての人間の力が重視される政治に対してはその力を自由に揮うことはできない。
そして、現代SNS社会の中で、群衆から存在を否定するような言葉を投げかけられれば(私たちと同じように)深く傷つく。
[[スーパーマン]]の基本設定として、彼は滅亡したクリプトン星から地球へと送られた孤児であるというものがある。前提として彼は地球外からやってきた移民・難民なのだ。
そして現代のアメリカ、そして日本も、SNSを覗けば移民への苛烈な攻撃があたりまえのように目に入ってしまう。だからこそ[[スーパーマン]]が見せる傷つく人間としての弱さは今まさに共感しやすい部分だ。
人々は不安から攻撃へと転じる。
移民という、「我々と違う存在」が「我々」を支配するのではないかという不安。未知への恐怖は生物の基本的な本能として抱え持つものであるが、その恐怖心が暴走したときに差別という攻撃行動に繋がってしまう。
そこで本作のヴィランである[[レックス・ルーサー]]([[👤ニコラス・ホルト]])は民衆の恐怖心や差別感情を煽り暴走(つまり[[スーパーマン]]への非難)を促すという攻撃を仕掛ける。天才的頭脳をもって経済的成功をおさめた大富豪が情報を武器にするという構図は[[👤イーロン・マスク]](つまり現代アメリカの極端なテック業界の成功者)を想起せずにはいられないキャラクター像だ。
[[スーパーマン]]は侵略者だ、その証拠がある、これまでの[[スーパーマン]]の人類に対する貢献は我々を油断させるための罠である――。人間は他者が心のなかで実際にどういう思いを抱いているのかを絶対的に知ることはできない。だからその行動の真意を物語の力でいくらでも捻じ曲げることができてしまう。
それこそが[[ポスト・トゥルース]]時代の闘い方であり、同じく現代アメコミヒーロー映画としては[[🎞️『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』]]を思い起こさせるヴィラン像だ。
参議院議員選挙直前というタイミングの公開なのであえてタイムリーな話題につなげるならば、「人類ファースト」という物語を掲げて民衆を煽ることで異星人の力を封じこみ、そのうえで自らの力を増長させるために新たな暴虐を企てる存在。それが本作が描く悪の姿だ。
そんな悪に対抗して「僕だって人間だ」という当たり前にもほどがある主張をし、より人間としての正しき行いを達成しようと頑張る[[スーパーマン]]の実直さが本作の感動的なところである。
しかし、[[レックス・ルーサー]]にも内に抱える物語がある。
人類最高峰の頭脳を持つが故に、「超人」がすぐ隣りにいる世界の中で「人類」という枠組みに依存してしまうことが[[スーパーマン]]への執着に繋がっている。ここもまた現代らしい、すべてがSNSで繋がってしまう世界の描写だ。
そんな彼が最後に流す涙は明確な「正しさ」を前にしたときに抱く自らの惨めさ、劣等感を思わせる。アメリカ文化では男性が人前で涙を流すことの文脈的意味は大きいというが、ここに来て[[レックス・ルーサー]]もまたヴィランである前に人間であるということを痛感させられる。
### これからの楽しみ
単体作としても非常に良くできた一作であるが、新生[[DCユニバース]]の始動作としても本作は達成するべき多くのタスクをこなしつつ、さらにフランチャイズ全体の方向性を強く打ち出している。
まずは今後フランチャイズで単独作も作られていくであろう多くの登場人物の顔見せ。
[[👤ジェームズ・ガン]]が得意とするチームヒーロー物の構造を取り入れ、[[グリーン・ランタン]]([[👤ネイサン・フィリオン]])、[[ホークガール]]([[👤イザベラ・メルセド]])、そして[[ミスター・テリフィック]]([[👤エディ・ガテギ]])が所属する**ジャスティス・ギャング**というチームが描かれる。
特に[[ミスター・テリフィック]]の本作における活躍は顕著で、正直まったく知らないキャラクターだったがそのクールな佇まいながら暴れ犬の[[クリプト]]に右往左往させられるギャップある姿は本作のユーモアに不可欠な存在だった。また戦闘においても[[🎞️『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』]]における[[ヨンドゥ]]を思わせる縦横無尽のバトルスタイルが超かっこいい。
ギャングの残り二名もビジュアルの良さもあればクライマックスに大見せ場が用意されており好感を持てるキャラクターだった。
そしてフランチャイズ全体の方向性について。
まずは何と言っても本作が明らかにロシアによるウクライナ侵攻と、イスラエル・パレスチナ戦争を意識した作品であることを明言しておきたい。
架空の国家として[[レックス・ルーサー]](つまり米国)による軍事支援を受けた国家と、その侵攻に脅かされる小国が描かれる。そもそもの物語の発端は[[スーパーマン]]がその侵攻を止めたことだ。
その後、[[レックス・ルーサー]]の策略により[[スーパーマン]]が動けなくなったタイミングで侵攻は再開される。武装した軍隊とそれに対峙する民衆の構図はまるで[[🎞️『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』]]で見た景色そのものだ。
>[!cite]
> ![[『スーパーマン』予告編.webp]]
> 引用:[[🎞️『スーパーマン』(2025年)#予告編]]
>
> 軍事侵攻を受けるなか、少年がスーパーマンマークの旗を掲げる。本作を象徴するシーンだ。そして[[スーパーマン]]はユダヤ人が創作したキャラクターであることを思うとその意味合いは複雑である。
>[!check]
> ガザ侵攻以前も途切れなく続いてたイスラエル軍によるパレスチナ占領を描くドキュメンタリー映画。
>
> - [[2025-02-21 🎞️『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』を観る]]
いま現実に起きている不正義を無視して都合の良い正義の物語に耽溺することの是非は、スーパーヒーローという絵空事を楽しむうえで常に頭をよぎる問題だ。
その点本作は、アメリカ映画産業というユダヤ系の力が強い場所にありながら、反イスラエルのメッセージを発している。そのことにフランチャイズとしての覚悟が感じられた。
本作の[[スーパーマン]]は[[パンクロック]]が好きだという。何が正しいのか分からなくなってしまった世界において、それでも「優しさ」に根ざした正義を志すということは、反抗以外の何物でもないのだ。
現実には希望の象徴たるスーパーヒーローは存在しないけれど、未来を明るく照らす希望を育てるフランチャイズにしたいというメッセージを本作からは受け取った。
少なくとも数作は、その心意気についていきたいと思う。それだけのパワーが本作には込められていた。
## 情報
![[🎞️『スーパーマン』(2025年)#予告編]]
![[🎞️『スーパーマン』(2025年)#主要スタッフ]]
![[🎞️『スーパーマン』(2025年)#関連リンク]]
[^1]: 改めて[Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC!)で確認したところ[[🎞️『スーパー!』]]の製作費は250万ドルとのこと。[[🎞️『スーパーマン』(2025年)]]の製作費は現時点では正確なソースが見つからなかったが、2億ドル超えは堅いことを考えるとその差に思わず目が回ってしまう。