# 2025-08-06 [[🎞️『アジアのユニークな国』]]を観る
![[レーティング#^r-18]]
![[ネタバレ#^warning]]
## 感想
[[📍ポレポレ東中野]]で鑑賞。
上映後に[[👤山内ケンジ]]監督と主演の[[👤鄭亜美]]さん、[[👤野上信子]]プロデューサーによる舞台挨拶付き。

### 二重に過激
政治談議とセックス。[[コントラバーシャル]]なふたつのネタをひとつの家に押し込んでみた、みたいな映画だ。
一見ふつうの夫婦が暮らす一般住宅。夫が仕事に出ている昼の時間に、妻の柏木曜子([[👤鄭亜美]])は一階で義父の介護をし、二階で違法風俗店を営む。
曜子は客と相手をしながらときどき[[👤安倍晋三]]元首相について言及する。曰く、彼が殺されたことで日本社会は変わる(元に戻る)と思っていた、しかし今なお日本や世界は変なままだと。
そんな話題に対する反応は客によって様々だ。
彼女の話に合わせて「私も安倍は嫌いだった」と述べる年配の男は本番までサービスしてもらえる。
一方、「アベガーな人ですか?」「(安倍首相のことを)ちゃんと説明してあげるよ」と告げる、かつて自民党のネトサポをしていたという若い男には出禁が告げられる。
そんなやり取りがスリリングかつおマヌケに展開されて思わず笑ってしまう。特にネトサポ男であることが発覚した瞬間の曜子の豹変ぶりには劇場が爆笑に包まれた。
また、ボカシなしで明確に男性器がスクリーンに映るショットが少なくともひとつ含まれていた点も注目に値する。
舞台挨拶で監督はフランス映画にあるような性描写を目指したという。日本映画として[[映倫]]を通すために色々と対策をしたようだが、たしかに私が見た限り最近の邦画では見た覚えがないかも、と思った。
これは単に「他がやっていないことをやってやった」以上の意味を本作の場合は持つように思う。暗黙的にタブー視されている性器のボカシを破ってみせたことは、やはり暗黙的にタブー視されている政治談議に臆する私たちのスタンスとも響き合う。
性器を晒しながら政治の話もする。この二重のタブー破りこそが本作のユニークな痛快さだ。
### SNS時代の生活、あるいはSNS時代のセカイ系
サブエピソードとして所々で柏木家のお隣さん([[👤岩本えり]])が描かれる。
彼女は曜子が売春をしていることになんとなく気づいており、そのことが気になって仕方がない。気になりすぎて一種のノイローゼ状態に陥るが、新たな男が柏木家を敷居をまたぐ度に窓を開けて耳をそば立ててしまう。
彼女のチグハグな行動は、正義心と好奇心とが混じり合っているように思えた。この感覚は私の身近にもある。SNSにおいて他人の(とくに自らにとって「敵対的」な)アカウントをウォッチする感覚だ。不快なのに思わず覗いてしまう、あの感覚。
過激な他者をいとも簡単に見つけ出し、覗き見できてしまうのはSNS時代特有の感覚なのかもしれないと思った。
また、クライマックスで曜子が夫に対して告げるセリフから私は久々にいわゆる[[セカイ系]]のかおりを感じた。
彼女は[[👤安倍晋三]]氏が射殺された直後にある不幸に見舞われたという。そして、それは一人の嫌悪する人物の死に歓喜してしまったことへの罰なのではないかと彼女は思っている。
そしてまた、その時の不幸と似たシチュエーションが訪れ、彼女は狼狽する。ガザでは今日も幼い子どもたちが殺されているというのに、日本でのうのうと(しかも違法風俗店を営みながら)暮らしている私にはまた同じ罰が下るのではないだろうかと。
SNS時代には世界的ニュースがわずか数時間というレベルで消費されてしまう。政治家の暗殺や戦争……それらについての情報が手元の端末でいつでも・どこでも消費でき、ときにゲンナリしながらも、それでも見続けてしまう。この状況は先述したお隣さんのエピソードとも通じる、[[ドゥームスクローリング]]というやつだ。
曜子は[[𝕏]]を見ることをやめたというが、今なお[[👤安倍晋三]]氏とその死に囚われている。世の中にあふれる不幸をいつでも手の中で確認できてしまうSNS時代だからこそ、彼女は自身の罪の意識をセカイと繋げてしまっているのだ。
[[セカイ系]]というと若さや青さの発露というイメージがあるが、いとも簡単に世界と繋がった気持ちになれてしまう社会となると、もはや歳をとったくらいではセカイからは容易に逃れられないのではないか、という思いを抱いた。
この発見は、個人的なこと(セックス)と社会的なこと(政治)が渾然一体となった描写が特徴的な本作だからこそもたらされたものだったのかもしれないと思った。
## 情報
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