# 2025-08-11 [[📘『生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ』]]を読む
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## 感想
[[👤戸谷洋志]]さんの著作は昨年[[📘『メタバースの哲学』]]が面白かったのでボチボチ読もうと思い、同じく昨年の著作である本書を手に取った。
題材的にも「自己責任」という言葉には以前から疑義を感じていたので、それについての考え方のヒントがえられるかもしれないという期待もあった。
本書では章ごとに主に一人ずつ政治家や思想家の哲学を参照し、自己責任論という思想の危うさと、それを乗り越えて他者を頼ることをその内に含むような新たな責任概念の理論化を目指す。
具体的に参照されるのは以下の方々だ。
- 第一章
- [[👤マーガレット・サッチャー]]
- [[新自由主義]]政策を進め、それを支える規範である自己責任論の基となる考えを示した([[「社会などというものは存在しない」]])。
- 第二章
- [[👤ハンナ・アーレント]]
- ナチスドイツにおける自己責任論からその構造的欠陥と、ユダヤ人虐殺に当時の民衆が加担してしまった原因を指摘した。
- 第三章
- [[👤國分功一郎]]
- 「中動態」という概念から、自己責任論における責任に先立つ「意志」に対して疑いの目を向け、その理論的問題を指摘した。
- 第四章
- [[👤ハンス・ヨナス]]
- 「誰に責任があるのか」ではなく「誰に対して責任を負うのか」という発想の転換により、傷つきやすい他者に対する責任だけでなく、その責任を誰かに委譲できる状況を維持することへの責任を考察した。
- これが本書の提唱する「弱い責任」の基礎となる。
- 第五章
- [[👤エヴァ・フェダー・キテイ]]
- 彼女の[[ケアの倫理]]の思想から、ヨナスの思想や、本書がいう「弱い責任」をどのように社会に実装するか――具体的には相互に支え合う連帯をどのように実現するかを考察する。
- 第六章
- [[👤ジュディス・バトラー]]
- 責任の対象、つまり傷つきやすさを抱えた他者とは誰なのかという問題を[[哀悼可能性]]の概念を導入することで明らかにし、ヨナスやキテイの哲学に制約をかけることで、父権主義へと陥らないようにすることを考える。
自己責任論をいかにして乗り越えるか、という興味深い視点からこれら思想家の哲学の入門としても機能しており大変面白く読むことができた。
## 情報
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