# 2025-08-27 [[🎮️『終ノ空』]]をプレイ ![[レーティング#^r-18]] ![[ネタバレ#^warning]] ## 感想 ### これは確かに…… 当時、本作を何も知らずに買ってプレイした先達たちがどう思ったのかは想像することしかできない。 私は本作をエンタメとして見事に再構成してみせた[[🎮️『素晴らしき日々~不連続存在~』]]を先にプレイし、さらにその前提の上で成り立つ[[🎮️『終ノ空』#『終ノ空remake -2025ver-』|🎮️『終ノ空remake -2025ver-』]]もプレイしたうえで、ようやく初めて本作に触れた。 結果、私は本作を大変楽しんだが、確かにいきなりこれをプレイしたら面食らったことだろう。これは確かに、尖った作家性が剥き出しにされた、両手で受け取るのに難儀するエロゲーだ。 ### リメイク版との違い >[!check] > 普段はあまりしないことなのだが、今回は特に深い意図もなく、あえてリメイク版を先にプレイしてみた。 > > - [[2025-08-17 🎮️『終ノ空remake -2025ver-』をプレイ]] オリジナルとリメイク版。二作のシナリオ面の大きな違いとして、リメイク版では**横山やす子**視点の章が追加されており、それに伴う多くの設定変更が挙げられる。 横山兄妹の基本設定はもちろんのこと[^1]、やす子視点のストーリーを動かす新キャラクターを登場させるべく**高島ざくろ**の物語開始時点の状況も大きく肉付けされている。 また、細かいところではオリジナルの舞台の学校ではエスカレーター式で受験の心配がなかったところが、リメイク版ではそうではなくなっている。 それに伴い、**若槻琴美**の学業成績がオリジナルでは良さそうだったのに、リメイク版では悪いということになっている。そこで彼女はスポーツ推薦を目指しているという設定を導入することで、受験競争による疲弊により終末論になびかれた他生徒たちとの立場の差別化が図られている。これには卓司を教祖とした[[カルト]]化の展開により説得力をもたせる意図もあっただろう。 加えて、剣道部の描写が増えることで琴美とやす子の絡みが濃密に描写できるようになり、やす子視点がよりやりやすくなったところもあるだろう。 逆にリメイク前後で変わっていない点として特徴的なのが、多くのBGMをほぼそのままリメイクでも流用している点だ。 リメイク版をプレイしていたとき、特にタイトル画面のBGMが20秒ほどと非常に短い尺でループすることが気になったのだが、それはオリジナルのものをそのまま使われていた。特徴的な曲が多いが、全体的にあまり古びた印象は感じなかった。 ### 現代的な調整 20年越しに制作され、上記のように設定からしてそこそこ変わっているリメイクだけに、それぞれ時代を反映した調整がされていることを体感できた。 特に露骨に調整を感じたのが、メインヒロインである琴美がオリジナルでは男たちによってとことんまで凌辱される(衆人環視のなか脱糞までさせられる!)が、リメイクではやす子一人による攻めに留めている。 カルト化し暴走する民衆をホラー的に描く以上、集団乱交や凌辱といった性暴力を描くことは自然であるが、その対象からメインヒロインを外したのはいかにも2010年代以降のエロゲーらしい[^2]。 加えて、やす子と琴美の関係が、憧れに起因する愛の反転としての憎悪という基本構造はそのままに、より複雑で湿っぽい現代的な百合にアップデートされているように感じた。この二人の関係の複雑化は(偉そうな言い方になるが)作家としてのスキルの向上をダイレクトに感じられるところであり、オリジナルとリメイクを比較する上で最も美味しいところかもしれない。 あとはユーモアの強化も挙げられる。 特に**音無彩名**との掛け合いは基本的にとっつきにくい問答に終始するところを、リメイク版では彼女の調子外れな面を強調した親しみやすい(……かは微妙だが、少なくとも笑える)セリフが増えている。 >[!cite] > ![[『終ノ空remake』ユーモア.webp]] > 引用:[[🎮️『終ノ空』|🎮️『終ノ空remake -2025ver-』]] > > オリジナルをプレイした後に見返してみるとちょっと想像しづらい彩名のこの表情。 ### 1999年に描かれた1999年、そして素晴らしき日々へ 世紀末、[[ノストラダムスの大予言]]による終末論が囁かれた夏。 直近には[[オウム真理教]]による[[地下鉄サリン事件]]が発生し、[[カルト]]の存在をより強く意識した時代。 「この退屈な日常は続く」というある種の諦念がみんなの中にあったのかもしれない。 当時の私はまだまだガキンチョだったのでそんな認識は欠片もなかったが、後に「失われた云十年」と呼ばれることになる最初の十年を生きた彼らにはそれなりの絶望感が蓄積されていたのではないだろうか。 我が国の低成長は改善することなく、高度成長期に蓄えたリソースを費やしながらずるずると先細り続けていく日常。 そんな絶望感を払拭してくれる夢物語が終末論だったのだろう。そういえば[[ノストラダムスの大予言]]の流行も日本限定のものだったという。 近年、[[陰謀論]]を語る際のキーワードとして「一発逆転」が取り上げられることも多いが、「終ノ空の先に至る」と語る卓司になびかれて屋上から飛び降りた者たちが望んでいたことはまさに一発逆転だったのだ。 そんな空気感を、まさに当時描かれた物語からダイレクトに吸い込んだことで(そのプレイがリメイク版を含めて実質二周目ということもあり)作品全体で語られる「勝ち」と「負け」にまつわるテーマが少し掴みやすくなったように思う。 このオリジナル版からは[[🎮️『素晴らしき日々~不連続存在~』]]へと直接繋がることはない。当然の話だが、当時は[[🎮️『素晴らしき日々~不連続存在~』]]の存在は影も形もなく、[[🎮️『終ノ空』]]から矢印が伸びようがないからだ。 1999年のどん詰まりの世界に生き、または生き続けない選択をした彼らは[[🎮️『終ノ空』]]の中に閉じ込められたまま。 そんな彼らに勝ち負けでない別の救済の可能性、[[🎮️『素晴らしき日々~不連続存在~』|素晴らしき日々]]へと至る可能性を提示することがリメイク版の意義だったように思った。 ## 情報 ![[🎮️『終ノ空』#関連リンク]] [^1]: オリジナル版をプレイした際に、リメイク版とは異なり二人が義理の兄妹であると強調されることで後の展開が読めるという、当時のエロゲーならではの面白さがあった。 [^2]: その代わりに、暴走した男たちの欲望をやす子が一身に受けることで琴美を守るという構図になっている。