# 2025-08-30 [[🎞️『8番出口』]]を観る ## 感想 劇場で鑑賞。 ![Xユーザーのこーしんりょー@SpiSignalさん: 「『8番出口』観た。この映画そのものが異変と呼ぶ他ない。よくここまで膨らませたと感心した。ゲームを完全再現した一人称の長回しショットから始まりカメラが今回のプレイヤー(迷子)から離れたとき、「映画」が始まる。」 / X](https://x.com/KO_SHIN_RYO/status/1961661434301128871) ### 異変的映画化 正直言って、優先順位は高くない映画だった。 この日はもうすぐ劇場公開が終了しそうな[[🎞️『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』]]が最優先、次いで[[🎞️『狂い咲きサンダーロード』]]がどうしても観たかったのだが、このニ作のつなぎにちょうど良かったのが本作しかなかったので、渋々(と表現すると失礼だが)足を運んだといったところだ。 原作[[🎮️『8番出口』]]については未プレイだ。とはいっても実況プレイ動画が流行した本作、私も例に漏れず(誰のものかは正直覚えていないが)実況プレイ動画でゲーム内容は把握していた。 ループする駅の構内で異変を探す。異変がなければ進み、異変があれば戻る。それを繰り返していくことでゲームが進行し、最終的に8番出口からの脱出を目指す。 異変とは、貼られたポスターのイラストがちょっと変わっているという些細なものから、大量の水がなだれ込んでくるといった激しいものまで幅広い。 そんな間違い探しのような遊びを一人称視点で、フォトリアルに表現された駅の構内を歩き回るだけで成り立たせているゲームである。 なぜ主人公がこの不思議な空間に囚われてしまったのか、そして脱出した後には何が待つのか……そういった背景情報はほとんどない。だから映画化に当たって脚色の工夫し甲斐のある原作といえるだろう。 ### 見て見ぬふり 映画では冒頭、迷う男([[👤二宮和也]])が地下鉄の電車に乗っている。 ゲーム同様の一人称視点でスマホを見ていると、突然泣き出した赤ん坊とそれをあやす母親が。ノイズキャンセリングイヤホンを外してそちらに意識を向けると、その母親に罵声を浴びせかける男性の大声が耳に入る。迷う男は、イヤホンを付け直し、その光景を見て見ぬふりをする。 電車を降りて地下鉄のホームを進むとすでに別れることを決めた恋人([[👤小松菜奈]])からの電話。彼女は妊娠したという。どうしよう、と相談してくる。焦る男だったが、気づくとすでにゲームをそのまま完全再現した8番出口に迷い込んでいた。 赤ん坊にまつわる二つの葛藤、という背景情報が原作から追加されている。その後赤ん坊の泣き声は物語としても、そしてホラーのギミックとしても、有効活用されることとなる。 原作ゲームでは早ければ30分もかからずにクリアできる内容なのに、この映画は95分ある。それだけの尺で何を描いているかは観ていただくとして、このシンプルな原作ゲームからどのようなテーマを創出できるかという工夫に感心した。 「異変を見つける」。この一点をひたすらに掘り起こすことで、逆説的に「見て見ぬふりをする」普段の私たちを見つめ返す。この視点の鋭さは素直に面白い。 ループものにおけるループ構造が「変わらない日常」のメタファーであることは多い。例えば私が愛してやまない[[🎮️『Prismaticallization』]]がまさにそうであるのだが、本作では原作にはないメタファーの導入を映画の脚色において試みている。 すでに日常は異変に侵されてやいないか。それを見て見ぬふりをすることで「変わらない日常」を演じてやいないか。 この映画化では原作ゲームのルールを利用して見て見ぬふりをしない勇気を描き出そうとする。なかなかにチャレンジングな脚色で、私は結構成功していると感じた。 ### ゲームを映画にし、映画をゲームにする 本作の撮影の特徴として長回しが挙げられる。 冒頭こそは完全に一人称視点のカメラワークによる長回しだが、男が8番出口に迷い込んでからは彼からカメラが離れ、三人称的にカメラが配置される。そこからは男を付きまとうように自由自在なカメラワークの長回しが多用されていく。 同時に、この長回しはおそらく原作ゲームの再現としての狙いがあるだろう。原作では特定のイベントに失敗したときを除いてロードが挟まることはなく、映画で言えばワンショットで、最初から最後まで画面が途切れることなく続く。 これは[[オープンワールド]]が技術的に可能になってからの流行であり、だから現代のゲーマーからすればカメラ移動を含む長回し映像は生理的にゲームっぽく見えてしまう。その代表的な作品が[[🎮️『1917 命をかけた伝令』]]だ。伝令を届けるべく戦場を駆ける兵士を擬似ワンショットのカメラワークで追いかけ続ける映像はゲームのように見える。 また、別の原作再現要素として、映画としてはやや過剰の登場人物の独り言が挙げられる。 原作ゲームにはたぶん台詞らしい台詞はひとつもないのだが、この独り言は一体何なのかと言えば、本作の流行のきっかけである「実況プレイ動画」文化の再現だろう。 実況プレイ動画とはまさしく独り言なのであり、その独特な空気感を映画でも踏襲しようという試みとして私は受け取った。 加えて「異変を見つける」という原作を踏襲した基本ルールは観客をも巻き込む。原作を知っている大半の観客は、主人公と同じように異変を探し、主人公が異変を見逃す様子に笑いをこらえたことだろう。 そうそう、異変と言えばほんの一瞬だけ映るカメオ出演があり、これがある種の「異変」として機能している。観客はそれを見つけるゲームとしてこの映画は楽しむことが出来るのだ。エンドロールで「えっ!」と思ったのならばもう一回この映画を観て確認する(ループする)という構造も含めた原作再現だと思う。ちなみに私は気付いた。 以上のように「ゲームを映画にする」というこの企画が、同時に「映画をゲームにする」という試みを内包しているという、やはりループ構造になっていると見なせる点も面白いところだ。 ### スペシャルサンクス 最後にひとつだけ遠回しなやっかみ。 本作エンドクレジットのスペシャルサンクスに並ぶ3つの名前。これが絶妙だ。どう絶妙かと言えば、映画の箔付けという観点から絶妙だ。 この3つの名前に対して、ひとつだけ欠けても、またひとつだけ加えても、映画の箔付けという機能性は落ちるように思う。うーん、なるほど、と唸らされた。 ## 情報 ![[🎞️『8番出口』#予告編]] ![[🎞️『8番出口』#主要スタッフ]] ![[🎞️『8番出口』#関連リンク]]