# 2025-09-03 [[📘『新版 「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」言論』]]を読む >[!info] > ![[📘『新版 「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」言論』#概要]] ## 感想 ### 石原式色覚検査表 無数の色点を並べて作られ、色の見え方によって数字が見えたり見えなかったりする図を目にしたことがあるだろうか。 これは[[石原式色覚異常検査表]]という色覚検査に用いられる図である。私は幼少の頃に見た覚えがある。つまり色覚検査を受けた覚えがあるということだが、これをまったく見たことがない世代もいるようだ。 なぜなら、色覚検査は2003年に学校検診から事実上廃止されたからだ。 しかし、2016年からまた学校検診で色覚検査が復活したのだという。 この廃止と復活という変化がわずか10年ほどで起こったということに私は興味を惹かれ、本書を読み進めた。 ### 色覚をめぐる科学と社会学 本書の著者は1970年代のはじめに小学校の学校検診で「色覚異常」を宣告された、先天色覚異常の当事者である。しかし、人生の半分以上そのことを忘れて過ごしてきたという。 そんな著者の執念のようなものをビシビシと感じる一作だった。 第一部では、先述した学校検診の変化と、20世紀の色覚検査が引き起こした差別の歴史を掘り起こす。 第二部では、医学や生物学などのサイエンスから現在の色覚研究の最前線を見る。 そして第三部では、それまでの章で得られた背景知識を総動員し、「先天色覚異常」を改めて議論する。 それぞれの部ごとに面白いポイントが大きく異なり、ノンフィクションでありながらツイストの利いた構成が読んでいて楽しい。 個人的にはやはり差別について深い議論がなされる「**第2章 20世紀の当事者と社会のリアリティ**」と「**第6章 誰が誰をあぶり出すのか ―― 色覚スクリーニングをめぐって**」のふたつの章が特に興味深かった。 色覚検査、とくに[[石原式色覚異常検査表|石原表]]によって人々が「正常」と「先天色覚異常」に峻別された時代について、著者による次の描写はインパクトがあった。少し長めに引用する。 >[!quote] > かつて、こんな社会があった。 > > 「「先天色覚異常」は危険であり、見逃すことなく、すべて検出して、進学や就労を制限しなければならない」と眼科医が言い、 > 「それならば、うちの会社では制限を設けます」「うちの大学でも門前払いします」と企業や教育機関が追従する。 > > 「日本人がよりよくなっていくためには、劣った遺伝を排除していくことも必要だろう」と遺伝学に詳しい科学者が言い、 > 「ならば、中学、高校の教科書でも、注意喚起しましょう。学校検診では色覚検査を必須項目にして、すべての「異常者」を見つけましょう」と教育行政がお墨付きを与える。 > > 「医者も、企業も、大学も、科学者も、行政も、いろいろ言っているみたいだから、やっぱり「色覚異常」はこわいんだね」と多数派の「正常色覚」の人たちは思い、子が「異常者」と結婚しようとするなら、一族をあげて大反対する。あるいは子の結婚相手の身辺調査をして、もしも親やきょうだい、祖父母に「異常者」がいようものなら、「汚れた血が入る」と拒絶する。 > > 「先天色覚異常」の当事者たちは、ひたすら黙り込み、自制を強いられる。生まれつき劣等に生まれた者として、自らの出自を呪い、その呪いの遺伝子が子に伝わることを恐れる。あるいは遺伝子を伝えた親を、祖父母を恨む。 > 「色覚異常」をめぐって語られる様々な言説が互いに補強しあい、今からみると滑稽ですらあるほどの過剰反応が蔓延した。20世紀の「実話」である。 > > --- > > 引用:[[📘『新版 「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」言論』]] - 「終章 残響を鎮める、新しい物語を始める」(P334-335)より この語りから、[[レイシスト]]の常套句である「[[差別じゃなくて区別]]」という言葉を思い浮かべずにはいられない。 先天色覚異常とは、色覚検査という、医学に基づく「区別」であると反射的に考えてしまいがちだ(本書はその区別を生じさせる手続きの杜撰さも喝破する)。しかし、その「区別」とされるものは巨視的に見ると簡単に差別の構造へと吸収されてしまうことが分かる。 今回は「先天色覚異常」という私にとっては馴染みの薄いテーマであったが、普段からそこここで感じている差別の構造と同じようなパターンがこんなところにもあったのか、という発見があった。 ## 情報 ![[📘『新版 「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」言論』#目次]] ![[📘『新版 「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」言論』#関連リンク]]