# 2025-09-19 [[📘『カッコウはコンピュータに卵を産む』]]を読む
>[!info]
> ![[📘『カッコウはコンピュータに卵を産む』#概要]]
## 感想
すこぶる面白かった。
元は1991年に刊行された本作。私が読んだのは2017年に文庫化されたもので、上下巻合わせて750ページほどと結構な分量がある。
ノンフィクションらしい「上手くいかなさ」に中だるみを感じつつも、その間を埋めるような著者の東奔西走により、着実にハッカー特定に向けて駒を進めていく感覚はサスペンスとして上質。
さらには私が生まれるより以前のコンピュータ・ネットワークについての話であるにもかかわらず、技術はもちろん思想の観点でも現代に通じるものを感じた。現実に起きた、誰か一人の頭の中で作られた物語でない事件だからこその普遍性が確かにあった。
### 1986年のネットワークとハッカー
1986年のインターネットをどれくらい正確にイメージできるだろうか。正直、私は厳しい。
インターネットの核となるプロトコルである[[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]]が[[RFC]]で標準化されたのが1981年。
インターネットの前身である[[ARPANET]]がこのプロトコルに切り替わり、現在のインターネットに近い仕組みになったのが1983年。
それからわずか3年後。インターネットはまだ軍や大企業や研究所、大学などを繋ぐネットワークの集合体であり、基本的に一般家庭からアクセスするものではなかった。
そういった知識はこれまでに物の本により得てきたが、そこにはまるで具体性が伴っていなかった。
本書は[[📍ローレンス・バークレー国立研究所]]のコンピュータ・センターで働く著者([[👤クリフォード・ストール]])が、米軍関係のサーバをしつこく狙うハッカーの存在に気づき、その正体を突き止めようと奔走した実際の出来事を描く。
そこではあくまで著者個人の視点でコンピュータを操作し、ログを読み、関係各所とコンタクトを取る過程が事細かに描写される。当時のコンピュータとネットワークの仕事に従事するとはどういうことかを知れる、具体性に満ちた一冊だ。
これまでにない具体性を掴めたポイントとして、例えば私が実際に体験したことのない当時のコンピュータやネットワークの特徴である、電話回線とモデムによるネットワーク接続が挙げられる。
[[インターネットサービスプロバイダー]]のようなサービスがまだ存在しない時代ゆえに、ハッカーの接続元を特定するには逆探知をすることになる。誘拐サスペンスでしか見聞きしないような言葉だ。
もちろん捜査令状の提出先は電話会社となる。そして逆探知の性質上、実際にハッカーが接続しているタイミングにしか実施できず、そのためには担当者が待機していなければならないという問題があり、その制約も本作のサスペンスのスパイスとなっている。
まだ接続ユーザー数がごく少なく、悪意あるユーザーの存在をあまり想定していなかった牧歌的な時代のセキュリティ意識にもいろいろと驚かされた。
公開ホストには誰でもアクセスでき、[[ファイアウォール]]のような自動遮断の仕組みもない。現代の[[ゼロトラスト]]の発想とは対照的な時代だ。
また、OSに初期設定された管理者IDと初期パスワードがそのまま放置されているホストも作中に複数登場する。もちろん管理者としてログインされてしまえばやりたい放題で、足跡を消しながらあらゆる情報にアクセスされ、次の標的への足がかりとされてしまう。
そして、政府機関にネットワーク・セキュリティの重大性を理解されない。本作における悪はもちろんハッカーなのだが、クリフをもっとも悩ませるのは相談先がないということだ。[[FBI]]は具体的な被害がなければ動けないと突っぱねる。[[CIA]]や[[NSA]]は秘密主義でクリフに情報を渡さない。各軍関係機関にハッキングの事実を伝えても積極的な協力は得られず、大学もハッカー追跡は本業ではないとしてクリフに監視活動の停止を迫る。
しかし、ハッカーを捕まえるにはこれらの政府機関との協力が必須なのだ。縦割り行政体質で横の連携がまともに取れないなか、なんとか各所と調整をしていく過程が本作の大部分を占めている。
その過程は地味で泥臭い。映画のハッカー描写のようなスタイリッシュさはまるでなく、ゆえに本作はリアルなハッカー小説だということもできるだろう。
### 表現の自由と通信の保護
主人公であるクリフはサンフランシスコに住むコンピュータ・ギークとして、例によって自由と個人主義を重んじるヒッピー的精神性やリベラルな価値観が見られる。
その価値観が分かりやすい描写として彼の結婚観を引用しよう。
>[!cite]
> 結婚? 私が? とんでもない。そんな気持ちはさらさらない。因習の虜となって窒息するのはまっぴらだ。結婚すると、世間はもはや人間が変わることを認めない。変わってもいけないし、新しいことをするのも許されない。対立があっても出ていけない。朝な夕な同じ顔をつき合わせていればお互いに飽きがきたって不思議はなかろうというものだ。にもかかわらず、結婚したらひたすらそのままの人間でいなくてはならないことになっている。なんと不自由、不毛、かつ不自然なことだろう。それが結婚という因習だ。
>
> 引用:[[📘『カッコウはコンピュータに卵を産む』]] (上巻)p.77
しかし、事件を通して政府機関との関わりを持ち、個人の判断では解決不能な仕事を長期的に経験することで、そういった価値観は次第に揺らいでいく。
その変化を成長と呼ぶことも、また後退と呼ぶこともできるだろう。
>[!cite]
> 「クリフ。君も焼きがまわったな。誰かが自分のシステムに入りこんで羽目をはずしたからって、何でそんなにこだわるのさ。君だって、もっと若かったら同じことをやったかもしれないじゃないか。創造的アナーキズムの信奉者たる君とも思えない」
>
> 引用:[[📘『カッコウはコンピュータに卵を産む』]] (下巻)p.284
これは事件解決後に新入りのスタッフにかけられた言葉だ。
自由を重視すればこそ、自らの技術力を駆使してシステムの欠陥を暴き出すハッカーの行動はむしろ褒めそやす対象であるという価値観がありえることは私も想像できる。
そんな価値観に対してクリフは慎重に言葉を重ねて答えを返す。直接的な引用はここでは控えるが、私は彼の述べる言葉に近いものを最近どこかで読んだ気がした。そうだ、この記事だ。
>[!check]
> 本書を読んでいる時期に大炎上した記事。私は関連作をどれも未見のためSNSで直接言及することは避けたが、この記事を巡って交わされた言論の多くに精神的ダメージを受けたとだけ言っておこう。
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> - [『ぼざろ』『虎に翼』の脚本家 吉田恵里香が語る、アニメと表現の“加害性” - KAI-YOU](https://kai-you.net/article/93374)
この記事で[[👤吉田恵里香]]さんは以下のように述べる。
>[!cite]
> 「99%の人が大丈夫でも、1%の過激な人が何かをしてしまうことで、アニメ文化が途絶える恐怖を感じています。様々な作品があるからこそ、ルールや節度、倫理観を保っていかなくてはいけない。過激な作品やR18まで振り切ったものがあってもいいですし、やると決めれば私も思いっきりそうした作品に関わることもあると思います。でもその場合は、しっかりと未成年が見られないような配慮が必要です」
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> 引用:[『ぼざろ』『虎に翼』の脚本家 吉田恵里香が語る、アニメと表現の“加害性” - KAI-YOU](https://kai-you.net/article/93374/page/2#:~:text=%E3%80%8C99%25%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%81%8C%E5%A4%A7%E4%B8%88%E5%A4%AB%E3%81%A7%E3%82%82%E3%80%811%25%E3%81%AE%E9%81%8E%E6%BF%80%E3%81%AA%E4%BA%BA%E3%81%8C%E4%BD%95%E3%81%8B%E3%82%92%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%80%81%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%8C%E9%80%94%E7%B5%B6%E3%81%88%E3%82%8B%E6%81%90%E6%80%96%E3%82%92%E6%84%9F%E3%81%98%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82%E6%A7%98%E3%80%85%E3%81%AA%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%93%E3%81%9D%E3%80%81%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%84%E7%AF%80%E5%BA%A6%E3%80%81%E5%80%AB%E7%90%86%E8%A6%B3%E3%82%92%E4%BF%9D%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82%E9%81%8E%E6%BF%80%E3%81%AA%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%82%84R18%E3%81%BE%E3%81%A7%E6%8C%AF%E3%82%8A%E5%88%87%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8C%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%82%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%97%E3%80%81%E3%82%84%E3%82%8B%E3%81%A8%E6%B1%BA%E3%82%81%E3%82%8C%E3%81%B0%E7%A7%81%E3%82%82%E6%80%9D%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%8D%E3%82%8A%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%9F%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%82%8F%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%A8%E6%80%9D%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%97%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%A8%E6%9C%AA%E6%88%90%E5%B9%B4%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E9%85%8D%E6%85%AE%E3%81%8C%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%8D)
1%の過激な人。それが本書におけるハッカーである。
「創造的アナーキズム」が育まれるためには、ネットワークが自由な場でなければならない。しかし、ハッカーの存在は他者への不信感を生じさせ、各人に検閲の必要性を脳裏に浮かばせる。
過激であるとは、過剰に自由を行使することだ。しかし誰かがそうした振る舞いをすることは、かえって人々から自由の価値に疑念を生じさせる。
自由といえば、[[日本国憲法第21条]]は「表現の自由」と「通信秘密の保護」について規定する。
![[日本国憲法第21条#^Article]]
クリフの心境の変化は、まさしく「表現の自由」と「通信秘密の保護」の保障という価値を無条件に信じることができなくなったことを示しているように感じた。
「君も焼きがまわったな」というスタッフの言葉は、まるでクリフがリベラルから保守へと転向したように思われたからこそ出てきた言葉だろう。
しかし、ことは右だ左だといった単純な二元論ではないということがクリフの葛藤から読み取れる。理想と現実のはざまで揺れる彼の姿こそが本作の最後に立ち現れる大きな魅力だと感じた。
## 情報
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