# 2025-09-27 [[🎞️『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』]]を観る
## 感想
劇場で鑑賞。

>[!info]
> ![[🎞️『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』#概要]]
### 多国籍であることの困難さ
正直いまいちな映画であった。企画としての困難さはわかるが、しっかりとその困難さに作品が負けていると感じた。
ニューヨーク。日本人の夫と中華系アメリカ人の妻。その間には一人の息子がいるが、彼が誘拐されることで互いの秘密や本音が表出し、関係にほころびが生じるという筋立て。
夫婦はたしかに愛し合っていたのかもしれない。しかし、愛し合うための土台の部分が脆弱だった。
二人の間には共通するアイデンティティーが希薄で、言語もお互いの母語ではなく住んでいる土地の言語である英語を用いてコミュニケーションをする。この折衷が二人の間に埋めきれない距離を生じさせる。
キュルキュルと不快な音を立てるガタのきた車が示すように、二人の関係も映画開始時点、事件が起こる以前からすでに壊れかけていたのだ。
主に3か国語が用いられる本作においてもそのコミュニケーションの困難性を感じ、夫婦の関係と同様に映画自体に対してもある種のぎこちなさを私は感じた。単に私が多国籍劇に見慣れていないからそう感じたのかもしれないが、つい最近鑑賞した似たような題材の多国籍劇では感じることはなかったのだ。[[🎞️『遠い山なみの光』]]である。
>[!check]
> ある夫婦の秘密の暴露が子供を通してなされるというプロットの類似性と、日本が中心となって製作された多国籍映画という企画の方向性が一致。同時期に公開されたので比較すると発見がある。
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> - [[2025-09-21 🎞️『遠い山なみの光』を観る]]
### 余白の魅力
[[🎞️『遠い山なみの光』]]の感想では冒頭に「すっきりしない」と書いた。そういう意味では[[🎞️『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』]]もなかなかすっきりしないミステリーである。
そのすっきりしなさとはつまり、作品に余白があって観客がそれを埋める必要があるということだ。映画から観客へと投じられる謎。
その謎に興味をそそられるかどうかがその作品の「すっきりしない」感じに対してポジティブ/ネガティブに思うかを左右する。
そういう意味では、[[🎞️『遠い山なみの光』]]の謎には興味をそそられるが、[[🎞️『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』]]にはそそられなかった。
この違いはどこから生じているのだろう。
もちろん映画なので複合的な理由によって感じ方が異なるという話であるが、個人的にはこの二作における「謎の隠し方」の違いが大きいように感じた。
[[🎞️『遠い山なみの光』]]の30年というスパンの物語であり、そこには人間の不定形な記憶という問題が立ちはだかった。ある人物からある遠い過去の出来事を尋ねてもそのすべては掴みえず、ゆえにこの映画には大きな謎、余白が生じている。
一方で[[🎞️『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』]]の謎は、映画が編集によって決定的な場面を単に隠しているから生じているように見える。[[🎞️『遠い山なみの光』]]にもそういう面がないとは言わないが、そこにもう一捻りギミックを加えることで「単に隠している」感が軽減されている。
加えて、作品が抱える謎を知る人物に対する興味の問題もある。作品が投げかける究極の謎、その答えを知るキャラクターに対する興味がなければ余白を埋めたいという欲求も生じない。その点、[[🎞️『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』]]は上手くいっていないと感じた。
雨が降り続けるニューヨークの街並みの妖しい美しさや、廃墟学者と人形劇監督というそれぞれ生と死に隣接した仕事に就く夫婦という設定の鋭さなど、個々に良い点はある。それでも総合的に見たときに面白さを見出すことができない作品だった。
## 情報
![[🎞️『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』#予告編]]
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