# 2025-10-11 [[🎞️『秒速5センチメートル』(2025年)]]を観る ![[ネタバレ#^denger]] ## 感想 劇場で鑑賞。 ![Xユーザーのこーしんりょー@SpiSignalさん: 「『秒速5センチメートル』観た。18年前に到達したあの地点からまた、18年前を回想する。原作と組み合わさって多奏的に響きあい、道半ばの人生で「大丈夫」だと再確認できる見事な実写化。」 / X](https://x.com/KO_SHIN_RYO/status/1976856601845023167) >[!info] > ![[🎞️『秒速5センチメートル』(2025年)#概要]] ### まずは原作の話から [[👤新海誠]]映画で2番目に好きな作品が[[🎞️『秒速5センチメートル』(2007年)|🎞️『秒速5センチメートル』]]だ。 全3話からなるオムニバス形式で、**遠野貴樹**が恋し、すれ違う様を、その半生を追いながら描いていく。 表題である「秒速5センチメートル」とは桜の花びらが落ちるスピードだと作中で語られる。この速度にまつわる象徴的な言葉と響き合うように、豪雪により何度も停止する電車や、宇宙へと飛び立つロケットといった移動物が、ふたりの人物の物理的・精神的な距離感を表現する。 エロゲーブランド[[minori]]のオープニングムービー制作の仕事を通して洗練されていった(と、エロゲーマーとして思っている)ミュージック・ビデオ的な演出による第3話でエモーショナルさは極に達する。[[👤山崎まさよし]]の[[🎵『One more time one more chance』]]をバックに、かつて恋した女性の面影を街なかでふと探してしまう。 そんな切実とも、幼稚とも思える男の愚かしさにどこかで深く共感してしまい、自意識が掻きむしられる。観返すたびに何度も、何度も。 [[👤新海誠]]映画で1番好きな作品が[[🎞️『天気の子』]]だ。 おいおい、この調子で[[👤新海誠]]作品を順々に語っていくつもりかと思われたかもしれないがここで打ち止めなので安心してほしい。この作品は個人的に[[🎞️『秒速5センチメートル』(2007年)|🎞️『秒速5センチメートル』]]に対するひとつのアンサーだと考える。ゆえに今回の実写版における重要な翻案についても、[[🎞️『天気の子』]]は大きな影響を与えていると思う。 その翻案部分は、原作第1話「桜花抄」のラストでヒロイン・**明里**との別れ際に交わされる「大丈夫」という言葉だ。 [[🎞️『天気の子』]]においてもラストは「大丈夫」で幕を閉じる[^1]。しかし、この言葉は[[🎞️『秒速5センチメートル』(2007年)|🎞️『秒速5センチメートル』]]においても非常に重要な言葉だったのだ。 [[👤新海誠]]自ら手掛けたノベライズ版から引用しよう。映画の表現とも矛盾のない場面である。 >[!cite] > 「あの、貴樹くん」 > 僕は「え」、という返事とも息ともつかない声を出すことしかできない。 > 「貴樹くんは……」と明里はもう一度言って、すこしの間うつむいた。明里の後ろの雪原が朝日を浴びてまるで湖面のようにきらめいていて、そんな風景を背負った明里はなんて美しいのだろうと、僕はふと思う。明里は思い切ったように顔を上げ、まっすぐに僕を見て言葉を続けた。 > 「貴樹くんは、この先も**大丈夫**だと思う。ぜったい!」 > 「ありがとう……」と僕がやっとの思いで返事をした直後、電車のドアが閉まり始めた。 > > 引用:[[📘『小説・秒速5センチメートル』]] Kindle版 位置No.504 > 注:太字は筆者によるもの [[🎞️『秒速5センチメートル』(2007年)|🎞️『秒速5センチメートル』]]では終わりに向かう別れの中で、[[🎞️『天気の子』]]では始まりを告げる再会の中で「大丈夫」が交わされる。いずれの場面も映像は美しいが、その台詞は前者では呪詛のように、後者では福音のように響く。 「大丈夫」とはなんとも無根拠で頼りのない言葉である。しかし、その曖昧さゆえに印象は両極へと振り切れうるのだと、一人の作家が二つの作品で示してみせたのだ。 だから今回の実写版では[[🎞️『天気の子』]]以後の作品として、この「大丈夫」をどのように用いるのかが個人的に注目どころのひとつだった。 ### 実写化とはリメイクの事と見つけたり ようやく実写版[[🎞️『秒速5センチメートル』(2025年)|🎞️『秒速5センチメートル』]]の話に入ろう。 原作からの脚色として真っ先に目につくのが全体の構成だ。 原作では時系列順に3話に分けて構成していた物語を、この実写版では原作第3話に当たる大人時代をベースに、それ以外の話を過去回想として構成し直している。 ここに技あり。貴樹([[👤松村北斗]])と明里([[👤高畑充希]])の出会いは12歳、そして物語の終わりは30歳。つまり最大で18年の歳月を隔てた回想だ。 この18年の期間は、原作の[[🎞️『秒速5センチメートル』(2007年)]]公開から、今回の実写版公開までの年月と一致する。 原作を観たことがある観客は本作の鑑賞にあたって必ず原作を意識することになるだろう。 だから本作の鑑賞は、当時あの結末を経て私は前へと歩き始めることができただろうか、そして今も歩き続けることができているだろうかと、再確認する機会となる。 ==過去を思い出す、というアクション==を貴樹が取ることにより、観客もまた[[🎞️『秒速5センチメートル』(2007年)|🎞️『秒速5センチメートル』]]を観た過去を思い出す。一見さんお断りなバランスでは決してないが、それでもあからさまに原作の存在を意識した仕掛けだ。 そこで私は本作のことをリメイクと呼びたい。 「実写化」という言葉が先行してついつい忘却してしまうのだが、この企画は[[🎞️『秒速5センチメートル』(2007年)|🎞️『秒速5センチメートル』]]の(ノベライズや漫画版なども含む)何度目かのリメイクなのだ。 ### 明里の「大丈夫」が聴こえなかったif このリメイクにおいて原作から最も大きく分岐した(ゆえに鑑賞後の印象が変わった)ポイントとして、==貴樹が明里の「大丈夫」を聴くことができなかった==という翻案を挙げたい。 岩舟駅のホームでの対話において、扉が閉まる直前に構内アナウンスによって明里のセリフが掻き消されてしまう。貴樹は「大丈夫」という言葉を、その後の人生を束縛する呪いを受け取ることがなかったのだ。 その代わりに「あの瞬間に明里が伝えようとした何かの言葉」という、さらに曖昧なものを受け取った。貴樹は、あの言葉は何だったのだろうという思いを抱えたまま生きていくことになる。 これが原作第3話に当たる社会人編の膨らみに繋がる。 原作では明里との初恋に囚われるあまりに人付き合いも上手くいかず、仕事も恋人も捨てた先にようやく一歩進み始めたところで終わる。 一方でこのリメイクでは新キャラクターである**小川**([[👤吉岡秀隆]])を導入することで明里の言葉が何であったのかを間接的に知るエピソードが追加される。 「人は生涯で5万語の言葉と出会う」と語る小川に対して、貴樹はそんなにいらないと言う。自分にとって本当に大事な言葉だけでいいのだと。 そうした交流の果てに、小川を媒介して明里との別れ際の言葉が「大丈夫」であったことに貴樹が気付く展開が、このリメイク版で新たに追加されたクライマックスだ。 言葉にはしかるべきタイミングがある。 原作である[[🎞️『秒速5センチメートル』(2007年)|🎞️『秒速5センチメートル』]]の「大丈夫」は長きにわたる呪いとなった。 [[🎞️『天気の子』]]の「大丈夫」はこの世界を変えてしまった共犯者として罪を分かち合いながら共に生きていくことの誓いとなった。 そして今回のリメイク版[[🎞️『秒速5センチメートル』(2007年)|🎞️『秒速5センチメートル』]]では、貴樹が明里から「大丈夫」というまったく同じ言葉を受け取るタイミングを変更することでどのような変化が生じるかを描いてみせた。 「大丈夫」のニュアンスを原作からどこまで遠くへ跳ばすことができたかがこのリメイクを評価する上でひとつの観点であると私は思う。そして、それはかなり成功していると感じた。 ### 今もゆっくりと、だけど確実に 原作である[[🎞️『秒速5センチメートル』(2007年)|🎞️『秒速5センチメートル』]]を初めて観た日のことをよく覚えていない。 映画館では観ていない。おそらくレンタルDVDで観たと思う。誰かと一緒に観たという印象もない。たぶん一人で部屋で観ていたと思う。 ネット上で「鬱アニメ」だと騒がれていたことは知っていたと思う。たぶん、そのつもりで覚悟を持って観たと思う。 そして、なるほどこれは「鬱アニメ」だと思い、あまり好ましくないとも思った。この点だけは確信を持っていえる。 なぜなら2013年に以下のツイートを残しているからだ。 ![Xユーザーのこーしんりょー@SpiSignalさん: 「『One more time,One more chance』聞いてる。実は最近『秒速5センチメートル』を4年ぶりに見なおして再評価したのだ。人は変わる(そしてそれは成長じゃない)。だから苦手だった作品も時を経て観た時に泣いてしまう。」 / X](https://x.com/KO_SHIN_RYO/status/298533607327272960) 他人と比べても大変乏しい人生経験を積むにしたがって「秒速5センチメートル」に届くかどうかというゆっくりとした速度で私も変化している。 その変化によって、苦手だった映画が好きになったり、物語が描こうとしているものにより細かく気付けるようになったり、[[🎞️『秒速5センチメートル』(2007年)|🎞️『秒速5センチメートル』]]をポジティブなエンディングとして観ることができるようになったりする。 リメイク版が「大丈夫」を受け取るタイミングの違いによってその意味合いが変わることを描いたように、映画との出会いもまたタイミングだ。 人は常に前へ後ろへと揺れ動いている。だから、ある瞬間に作品が投げかけるメッセージが身体の芯を貫くとは限らない。 それでもよくできた作品はメッセージを撃ち出す口径が大きい。一度は外れても、いずれ芯をとらえる可能性が高いのだ。 [[🎞️『秒速5センチメートル』(2007年)|🎞️『秒速5センチメートル』]]は私にとって大砲で、一発目は外したかもしれないが二発目で粉々にされたのであった。 そして今回のリメイク版は先に放たれた大砲の弾道をなぞるように射出され、見事に私の心を撃ち抜いた。失血多量な気もするが大丈夫だ。私はまだ、前へと歩いていける。 ## 情報 ![[🎞️『秒速5センチメートル』(2025年)#予告編]] ![[🎞️『秒速5センチメートル』(2025年)#主要スタッフ]] ![[🎞️『秒速5センチメートル』(2025年)#関連リンク]] [^1]: [[📘『小説 天気の子』]]のあとがきによると、脚本を読んだ音楽の[[👤野田洋次郎]]が書いた[[🎵『大丈夫』]]デモ版の影響を強く受けて絵コンテを作り上げたという。