# 2025-11-29 [[🎞️『みんな、おしゃべり!』]]を観る
![[ネタバレ#^warning]]
## 感想
[[📍ユーロスペース]]で鑑賞。上映前舞台挨拶付き。

>[!info]
> ![[🎞️『みんな、おしゃべり!』#概要]]
### コミュニケーション成就の多幸感
コミュニケーションは難しい。本当に難しい。
人間として社会生活を送るうえで基本中の基本のスキルであるはずなのにこれほど難しいものはない。
しかしそれでも私なんかはまだイージーモードだ。日本に暮らす日本語話者だからだ。目の前の相手が同じ言語(プロトコル)で応答可能である蓋然性が非常に高い立場にある。
一方で日本語を話すことのできない人たちの苦労はいかほどだろうか。
本作は、日本手話でコミュニケーションを取るろう者と、クルド語・トルコ語しか話せないクルド人との間で起きた喧嘩を描くコメディである。
電気店を営むろう者の**古賀和彦**([[👤毛塚和義]])は、些細な行き違いから店の電球をクルド人の**ルファト**([[👤ムラット・チチェック]])に壊されたと勘違いしてしまう。
互いが扱う日本手話とクルド語とでは通じることなく、それぞれ日本語で通訳ができる娘/息子である**夏海**([[👤長澤樹]])と**ヒワ**([[👤ユードゥルム・フラット]])が間に入ってふたりの関係を修復しようとするが……。
映画における喧嘩はシリアスドラマにもコメディにもなりうる。
基本的に大人同士の喧嘩とは滑稽なものだ。しかし、大人同士の喧嘩だからこそ惨劇に発展してしまうこともある。
本作の喧嘩はそこまで悲惨なことにはならないが、ろう者とクルド人という現代日本におけるマイノリティ同士の喧嘩をマジョリティの目線で観るのはなかなかしんどいものがある。先述の通り、彼らに比べてイージーな人生を歩んでいるという引け目がどうしてもあるからだ。
そこに夏美とヒワの関係が適度な清涼剤になっている。ふたり共々、自分の父との関係について、そしてマジョリティである日本語話者との間を取り持つある種のインターフェースとして頼られる立場に思うところがある。
そうした漠然とした孤独を感じる二人が結託して取る「主人公らしくない」行動がかえってハッピーエンドに繋がるところが痛快だ。
ある意味で、事件は勝手に解決する。喧嘩とは間に挟まる人が多いほどこじれてしまいがちというのは普遍的な話であって、だったらいっそのこと思い切って引いてみるのも手じゃないか。
こうして日本語話者が舞台から降りたクライマックスでは映画から日本語が姿を消す。
しかしそこでは様々な形でコミュニケーションが試行されていく。大切なことを伝えたいという気持ちが「発話」を促し、様々な創意工夫が生まれる。そうして積み上げられていく相互理解の達成は観ていて多幸感に溢れている。
その多幸感が極に達するのがラストショットだ。ある第三勢力が登場するのだが、それは映画を観る我々観客であることをショットが明確に示している。きっと話せば分かるはずだと、映画の主要登場人物たちが総出で観客を映画の世界へと招き入れようとコミュニケーションを試行する。そのことにたまらなく嬉しくなってしまった。
そんな明るい気持ちで劇場を出られる本作であるが、実は細かな毒っ気もあることに気づいた。
中盤、クルド人に興味を持った夏海は本屋に訪れる。本を探す夏海を横から映したショットだが、その手前には本棚に浅めにささった一冊の本が目立っていた。[[👤橋本琴絵]]の[[📘『日本は核武装せよ! 被爆三世だから言う』]]である。
[[👤橋本琴絵]]は極右――と呼ぶことも躊躇してしまう、炎上狙いの過激な右派的言説を[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]に繰り返し投稿することで耳目を集める炎上系インフルエンサーという認識だ。
当然ながら外国人政策についても過激な言動を繰り返しており、クルド人への差別的・攻撃的なヘイト発言も目立つ人物である。
そんな彼女の書籍(帯に本人の顔写真付き)をさり気なく映しながら、夏海が手を伸ばすのは[[📘『クルド人を知るための55章』]]。この対比はちょっと毒気が強すぎて笑っていいのやら迷ってしまうところである。
### 舞台挨拶
舞台挨拶についても軽く触れておこう。
今年参加した舞台挨拶では主演の子役三人を監督が率いた[[🎞️『ふつうの子ども』]]もユニークで楽しかったが、本作の舞台挨拶もやはり当事者キャスティングゆえの混沌さが楽しい現場だった。
私の隣席もろう者らしく手話で会話していたのが印象深かったが、そうした方に向けて手話通訳はもちろん、リアルタイム字幕をスクリーンに映す試みも良かった。
舞台挨拶の雰囲気は以下の動画を参照するとその混沌さが一発で分かるだろう。

本作の字幕について、監督はすべてを分かった気にさせないための工夫を凝らしたという。
日本手話やクルド語・トルコ語などの非日本語に対し、どれに日本語字幕を付けるか・付けないかにはこだわりを感じた。
そして聴覚障がい者やクルド人などであっても同様に、本作は言語によって理解しきれないところが生じる作りを目指したという。
そんな、ある意味で不自由な作品だからこそ、そのギャップを埋めるためのチャレンジを観客に要求する――まさに本作の登場人物たちのように――という、メタ的な仕掛けも楽しい一作だった。
公式によれば配信予定はないとのこと。
現状は東京2館のみだが、上映館が全国に広がっていけば間違いなく大きな話題となるポテンシャルを秘めた傑作だ。応援したい。

## 情報
![[🎞️『みんな、おしゃべり!』#予告編]]
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