# 2026-01-10 [[🎞️『プラハの春 不屈のラジオ報道』]]を観る
## 感想
劇場で鑑賞。

>[!info]
> ![[🎞️『プラハの春 不屈のラジオ報道』#概要]]
### 60年前の「言論の自由」の危機
昨年[[👤ジャン=ポール・サルトル|👤サルトル]]を調べる過程で[[プラハの春]]についても軽く調べていたため、この映画の存在を知ったときはその繋がりで興味を持っていた。公開から一月経ったがようやく鑑賞。
ちょうど直近に[[📘『ヴィクトリア朝時代のインターネット』]]を読んでいた。電信の誕生を通して、一対一の情報伝達を瞬時に実現する通信の力を改めて実感する読書だった。
そして今回[[🎞️『プラハの春 不屈のラジオ報道』]]を観たことでラジオ、すなわち**一対多のブロードキャスト**(放送)の力に目が開かれた。
誰かがマイクに語りかけた声が、不特定多数の民衆へと広域かつ同時的に伝達される。声とは表現であり、表現は人に影響を与える。影響は良くも悪くも現状を変更しうる。
それはパワーだ。だからマスメディアは[[第四の権力]]になりうる。
すると既存の権力はその新興のパワーを怖れ、それを制限するためにパワーを振るう。
それが検閲であり、われわれ民衆にとっての「言論の自由」の危機なのだ。
### 暴力の恐怖による支配と闘うこと
本作は1968年の[[プラハの春]]に至るまでと、その後のソ連による軍事介入までの、**チェコスロバキア放送国際報道部**を中心に描く。
主人公([[👤ボイチェフ・ボドホツキー]])はそこにスパイとして送られた男だ。もともと本人にはスパイという自覚はなく上からの要求に従っただけなのだが、次第に当局へと情報を提供するよう脅迫されていくことになる。
しかし、実在の人物である国際報道部長である[[👤ミラン・ヴァイナー]]([[👤スタニスラフ・マイエル]])を中心とした現場の人々の崇高な信念に突き動かされて彼も闘いに身を投じるようになる。
暴力の恐怖による支配。いつだって普遍的な悪の姿はこの形をとる。
それと闘うことは正しいことだ。私はそう信じる。しかし、この闘いには血が流れる。当然だ、向こうが前提として「暴力」をちらつかせているのだから。
だから本作が描く葛藤はとても普遍的で、厳しく、そして揺るがされる。
昨年、本作と近い年代のマスメディアを描いた映画として[[🎞️『セプテンバー5』]]があった。
あちらはテロ事件報道をめぐる物語で、これまでにない「新しい状況」に直面したときの職業倫理についての映画だった。
>[!check]
> 本作からわずか4年後である1972年・ミュンヘンオリンピックのテレビ放送が舞台。カラー放送・ライブ放送の本格普及が始まったのがこの時期であり、では当時のチェコスロバキアのテレビ放送はどのような形だったのだろうかと気になった。
>
> - [[2025-03-04 🎞️『セプテンバー5』を観る]]
それに比べると本作の葛藤や倫理観は古典的なもので、そういう意味での複雑さはない。しかし、非権力側の人間がずっと考え続けている題材であり、ストレートにドスンと来る作品は[[🎞️『プラハの春 不屈のラジオ報道』]]の方であると感じた。
## 情報
![[🎞️『プラハの春 不屈のラジオ報道』#予告編]]
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