# 2026-01-17 [[🎞️『ウォーフェア 戦地最前線』]]を観る
## 感想
[[📍MOVIXさいたま]]の[[Dolby Cinema]]で鑑賞。

>[!info]
> ![[🎞️『ウォーフェア 戦地最前線』#概要]]
### 事実ではなく記憶
[[👤アレックス・ガーランド]]監督の前作[[🎞️『シビル・ウォー アメリカ最後の日』]]も、同じく[[Dolby Cinema]]で鑑賞した。
重火器のマズルフラッシュや爆発といった描写が多いミリタリー映画は、[[IMAX]]専用画角がないのであれば、画面の明るさと音響性能にパラメータを全振りした[[Dolby Cinema]]で観るのが最適だと感じている[^1]。
本作の姿勢は、冒頭の挿入される説明字幕に集約されている。
実際の出来事を扱った映画でしばしば宣言される「事実に基づく」という言葉を、本作は用いない。代わりに掲げられるのは、[[イラク戦争]]で実際に発生した戦闘に参加した隊員たちの「記憶に基づく」という但し書きだ。
人の記憶は、一人につき一つの視点しか持ち得ない。人は万能ではなく、その瞬間に起きているすべてを記憶し尽くすことはできないし、記憶の正確さは時間とともに否応なく減衰していく。多数の記憶を収集し、それを第三者的・俯瞰的に分析することで、私たちはいわゆる「事実」に近づこうとする。しかしその過程で、各々の記憶に固有の細部や手触りは捨象されがちだ。さらにそれを「物語」に仕立てるとなれば、事実にとっての些事と見なされた要素はフレームの外へと追いやられてしまう。
繰り返すが、本作は「記憶に基づく」のだという。それが映画作りにとって「事実に基づく」場合と具体的にどのような差異が生じるのかは定かではないが、観ていると確かにこれは普段目にしている映画とは異なるものだと感じられた。
その違いは、徹底して「現場で起きたこと」を再現するということに腐心している点に由来している。映像からは、なにがしかの物語やメッセージを乗せようという、普通の映画では巧妙に隠蔽されながらも確かに存在を感じる「語りの欲求」が意識的に排除されているのだ。
この「語る気のなさ」を強く感じるのが冒頭の20分である。攻撃対象近辺の住宅を占拠した特殊部隊は、そこからしばらく大きな出来事に遭遇しない。観察し、報告し、指示を待つ。ただそれだけの時間が続く。
自分たちの位置が敵に察知されているらしいことがじわじわと伝わってきて恐怖は募るものの、いわゆる映画的な事件が起きるまでひたすら地味な待機が続く。
その時間を使って登場人物を分かりやすく紹介するといった気の利いた作劇も行われない。各々が自分の(地味な)任務に従事する姿が描かれるのみだ。
おそらく動画配信サービスで自宅鑑賞していたら我慢しがたい時間だろう。普通の映画とはかなり異なる作りでありながら、それでもなお、これは映画館で観ることを前提に設計された映画であると感じさせられた。
### 状況に左右されるストレス
近年、妙にホラー演出としての[[ジャンプスケア]]を過小評価する風潮を感じているが、使い所と意図次第ではこれほど強力な武器はない。
本作の場合は観客に戦場の恐怖を体験させるためにその力を存分に発揮する。ここぞという瞬間に訪れる唐突な爆発と轟音に何度も身体が生理的に跳ね上がった。
それは急激な不快な身体反応だ。しかも次の瞬間にも同じ衝撃が訪れるのではないかと自然に身体が構える。戦場とは、どこから銃撃され、いつ爆発が起こるか分からない場所なのだという事実を、身体感覚として思い知らされる。
複数の人間が、他者を死傷させるために銃や爆弾を通してエネルギーの塊を放つ。そこでは一個人が状況をコントロールすることはできない。個人の生死は、混沌とした状況そのものに委ねられる。
もちろん映画を観る観客の命が危険にさらされることはない。それでも本作は、せめてそれに近しいストレスを与えようとする。地獄のような光景のただ中にいるかのような映像と、[[ジャンプスケア]]的な銃撃や爆撃によって、神経を擦り減らしに来るのだ。
だからこそ、本作の鑑賞は心底疲れる。不快に満ちた体験だ。
そして戦場に立つとはそういうことなのだという感覚が、理屈ではなく身体に刻み込まれるのである。
## 情報
![[🎞️『ウォーフェア 戦地最前線』#予告編]]
![[🎞️『ウォーフェア 戦地最前線』#主要スタッフ]]
![[🎞️『ウォーフェア 戦地最前線』#関連リンク]]
[^1]: 調べたところ、昨年3月時点では[[IMAX]]上映の予定だったようだが、後からそれがキャンセルされたようだ。

