# 2026-03-07 [[🎞️『レンタル・ファミリー』]]を観る
## 感想
劇場で鑑賞。

>[!info]
> ![[🎞️『レンタル・ファミリー』#概要]]
### 正しいこと
ちょうど直近で読んでいた小説[[📘『ここはすべての夜明けまえ』]]で、[[🎞️『ザ・ホエール』]]における[[👤ブレンダン・フレイザー]]演じる主人公の以下のセリフを引用していた。
>[!cite]
> I need to know that I have done one thing right with my life!
>
> ---
>
> 日本語字幕:
> 僕は信じたいんだ 人生でたった一度だけ正しいことをしたと!
小説では、歌声や将棋を指す頭脳がだんだんと機械に置き換えられている文脈で、それでも機械に置き換えられなさそうなものの一例として、この台詞を言い放つ[[👤ブレンダン・フレイザー]]の演技を挙げていた。
演じるということ、すなわちウソを具現化するということ。本作[[🎞️『レンタル・ファミリー』]]もこのセリフの延長上にある作品かもしれない。
「家族を演じる」というウソを通じて、他者の人生(そして自分の人生)に大きな影響を与える主人公を描いた作品であり、同時にブレンダン演じる主人公が「正しいことをした」と信じるお話でもある。
正しいこと、とはなにか。それは他者の人生における幸福度をわずかばかりでも高めることであり、そのやり方には色々な形がある。しかし、まずは幸福にする相手と関わりを持つ、つまりコミットメントすることが前提条件だ。
### レンタル
「レンタル○○」というコンセプトに沿った人を貸し出すビジネスがここ10年ほどで現れた。特に「レンタルなんもしない人」はドラマ化するなどして話題になった。類似の職種を扱った映画として[[🎞️『スペシャルアクターズ』]]が挙げられるだろう。
人々が孤立しがちな日本の都市生活において外部から人を派遣する需要が発見されたのだ。我々は自らを希薄な人間関係で生活できる環境に置きながら、それでも共同体を求めてしまうという止まれぬ願望がある。だからこそ、そこにビジネスチャンスが生じる。
[[👤ブレンダン・フレイザー]]演じる主人公の**フィリップ**は演技ができる白人男性という点を見込まれて「レンタルファミリー」にスカウトされる。
日本においてマイノリティである自分に需要があるのかという疑問と、フィクションとしてではなく他人にウソをつくことに対する抵抗感があり、初めは断ろうとする。
しかし、最初の仕事のエピソードが非常に良い。その後にフィリップがこの仕事を続けていこうと決意するに足る説得力があった。
ある結婚式で夫のふりをしてくれという依頼だが、そこでのフィリップの振る舞い、彼が神前式に参加している映像、そしてなぜ彼が必要とされたかのオチに至るまで素晴らしいシークエンスだ。
そこから彼の仕事が軌道に乗り、本作のメインのエピソードとなる二つのレンタル依頼に話は進むのだが……以下は観てのお楽しみ。
所々で差し込まれる、東京の街並みの「窓」を映すショットが印象的だ。
明かりのある窓の内側には人々の生活がある。そこには共同体があるのだ。たとえ一人であったとしても、そこにはその人なりの生活があり、それは最小単位の共同体なのである。フィリップは、その明かりの中に外部から入ってくる存在なのだ。
こうしたシーンがあると、共同体や人と人のふれあいをひたすら肯定的に描いた作品のように思える。実際そうではあるのだが、一箇所だけとんでもなく恐ろしいシーンがある。
ぼやかして言えば、人はどこまでも他者という存在を求めてしまうということを残酷に描き出したシーンだ。
東京は確かに独りで生きることにあまり苦労のない街だ。しかしそれでも共同体に属したいという欲求を止めることは簡単にはできない。それは客観的には愚かしく滑稽なことで、そうと分かっていても止められないからこそ恐ろしいのだ。
その後、その人物は自らが本当にするべきこと、もっと言えば==自分が真にコミットメントすべき共同体を見つめ直すこと==で、その恐怖から救われる。
サブエピソードではあるのだが、個人的にはここが一番の見所だったと思う。
## 情報
![[🎞️『レンタル・ファミリー』#予告編]]
![[🎞️『レンタル・ファミリー』#主要スタッフ]]
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