# 2026-05-27 [[🎞️『サンキュー、チャック』]]を観る
![[ネタバレ#^warning]]
## 感想
劇場で鑑賞。

>[!info]
> ![[🎞️『サンキュー、チャック』#概要]]
### 人生とは死ぬまでの暇つぶし
物語とは、時間つぶしの方法のひとつである。お話に耳を傾けているあいだは絶えず時間が進み、終わった頃には人生の限りある時間の一部をその物語に費やしたという結果だけが残る。
そこに付加価値を求めて我々は教訓や人生訓、すなわち「学び」を読み取ろうとする。
すると気づく。ほとんどすべての物語は「生きよ」と述べているのだと。
本作[[🎞️『サンキュー、チャック』]]は終末ものだ。
世界中で一斉に大災害が起こり、それが14ヶ月も続き、インターネットもテレビも止まって、どうやら世界は終焉を迎えるらしい。
街中にはチャールズ・クランツという謎の男への感謝広告で溢れ、なんとも不気味だ。
そんな中、学校教師の男([[👤キウェテル・イジョフォー]])は世界の終わりの瞬間を愛する人と共に迎えようと、元妻の家へと向かう。
それが本作の第三章だ。本作は第三章から物語が始まり、章を遡っていく。
この構造からそれなりに物語に浸かった観客であれば、本作がどのような物語であるかの予想がつくところである。それを見越してか本作はあっさりとネタバラシをして二章へ進む。
この二章で描かれた物語に久々にガツンとやられた。
正確にはそれは物語と呼べるものではなかった。この章の見どころはダンスシーンだ。言葉なき、音楽と体技。その光景がいくつもの物語よりも強く私に「生きよ」と命じたのだった。
我々はよくできた物語を求めて映画を鑑賞するが、実はそれ以上にこういう光景を観るためにわざわざ映画館に足を運んでいたのだった。物語を欲するならば本作には原作がある。それを読めば済む話だ。それに対して映画とは、カメラの前に現出した光景を眺めるためにある。文字や言葉にできないからこその視覚芸術だ。
そして私は「この瞬間が、この人物の人生最高の瞬間なのだ」と悟った。この第二章こそがこの物語のクライマックスなのだ。それ以外はこのクライマックスをより輝かせ、深みを与えるためのものだ。
そして本作の三章と一章では同じ[[👤ウォルト・ホイットマン]]の詩が引用される。本作の素晴らしい第二章をサンドイッチする詩が、ありがたいことにパンフレットの金原瑞人さんのコラムで引かれていたので孫引きしよう。
>[!cite]
> 『サンキュー、チャック』で使われているのはホイットマンの代表作といわれている「自分自身の歌」という詩集の51節の1部だ。
>
>> Do I contradict myself?
>> Very well then, I contradict myself,
>> I am large - I contain multitudes.
>
> 訳してみよう。
>
>> ぼくは矛盾してるって?
>> そうか、なるほど、ぼくは矛盾している。
>> でっかいからな……いろんなものをたくさん抱えているんだ。
未来(第三章)と過去(第一章)とが呼応して第二章のダンスに繋がっているならば、やはりこの詩が本作の最大のヒントだ。この詩を噛み締めながら、できればもう一度劇場であの第二章のダンスを観に行きたい。
## 情報
![[🎞️『サンキュー、チャック』#予告編]]
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