# 2026-09-05 [[🎞️『ドラマなふたり』]]を観る
## 感想
劇場で鑑賞。

>[!info]
> ![[🎞️『ドラマなふたり』#概要]]
### 大人になるのは難しい
現代的な破滅ドラマの名手、[[👤クリストファー・ボルグリ]]の新作である。
近年イケイケで重要作の出演を重ねる[[👤ゼンデイヤ]]と[[👤ロバート・パティンソン]]をカップルとしたウエディング映画だ。もちろんその結婚式が平和裏に終わることはない。自業自得な行動に端を発する人間関係のこじれっぷりが式をメチャクチャにしてしまう。
結婚式の七日前。式の料理を決める場で酒に酔った勢いから友人夫妻とした「秘密の告白」ゲームが人間関係をぶち壊してしまう。
「それまでにしでかした最悪な行為」を告白した**エマ**([[👤ゼンデイヤ]])、その内容は公式でネタバレ禁止令が出ているため伏せておくが、その最悪加減が絶妙だ。きっと多くの人が空想くらいはしたことのあるその行為は、人によっては「あいたたたた」と古傷が疼いたり、(特にアメリカでは)真剣に激怒するだろう人もそれなりにいるものだ。
思い返すに、[[👤クリストファー・ボルグリ]]が描く破滅は誰もが持つ「幼さ」に起因すると、現在のフィルモグラフィーから言えるだろう。
前作までは個人の止められない承認欲求によって極端な行動を取ってしまい破滅へと突っ走る人物が描かれてきた。
対して今作では、かつての「幼さ」を乗り越えたエマと、いまだ優柔不断という「幼さ」に起因する逃避グセを持つ**チャーリー**([[👤ロバート・パティンソン]])との合わせ技が、ウエディングを地獄に変える。
こういう映画を観ていると、かつて夢想した「責任感ある大人」になるのはかくも難しい――というか、少なくとも私には不可能なのではないか? と、頭を抱えていしまいたくなる。
だから映画で予習するのだ。自分の幼さがさらけ出してしまう場面と、相手の幼さに直面したときの場面とを。
### パートナーの条件
結婚を描く本作はパートナーシップについての物語でもある。
女性側が秘密にしていたかつての「幼さ」を開陳したことで、男性側がそれを許せるか――という物語の構図を前に、はたして「パートナーの条件」とは何か? という議論が浮かび上がる。
今のパートナーを愛していたとしても、後から過去の幼さを知ることで、その愛が減じることはあるか?
大人を装う私の理性は、出会う以前の過去の出来事によって愛が減じるというのであれば、それこそが幼いということなのではないか、とささやく。
一方で一昔前のエロゲーマーらしく処女・独占厨を自認する私の野生は、その後出しジャンケンはいくらなんでも卑怯であり[[蛙化現象]]待ったなし、と確信する。
となると「幼さ」を受け止めることもまた、「大人」ということなのだろうか? 「大人として幼さを受け止める」と表現するとまるでロリコンのようだが。
しかし、そこには一方向的に感情をぶつける攻撃性が見出され、どうも座りが悪い思いもする。結局、「幼さ」や「大人」とう言葉で表現されるような、「精神年齢」という主観的な軸のみで相手をジャッジすることにうまくいかなさの本質があるのではないか。
誰もが幼さを持つのであると確信するのであれば、相手が幼さを発揮する場合があることも前提としたパートナーシップが必要なのではないだろうか。
本作の最後に見せたエマの振る舞いは、互いに幼さをさらけ出した後にあらためて時計の針を戻し、それを前提としてコミュニケーションをはじめましょう、と宣言しているのだと解釈した。
## 情報
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