# 2026-09-22 [[🎞️『超かぐや姫!』]]を観る ## 感想 劇場で鑑賞。 ![Xユーザーのこーしんりょー@SpiSignalさん: 「『超かぐや姫!』観た。初鑑賞。何世紀という歴史に耐えてきた日本最古のSFにして不条理劇という物語を相手取って吹っ飛ばす。最後まで満足感たっぷり。」 / X](https://x.com/KO_SHIN_RYO/status/2102323428636361188) >[!info] > ![[🎞️『超かぐや姫!』#概要]] ### やっとこさ鑑賞 ようやくの鑑賞である。 [[Netflix]]配信開始時に見逃したので、せっかくだから劇場で観ようと思っていた。 しかし、正直言ってこの手のアニメーション映画は基本的に好みではないためどうしても優先度が上がりきらず、劇場での鑑賞を逃していた。そこで今回の再上映こそは、ということで[[Dolby Cinema]]で鑑賞。 ### 私は(本作がターゲットとしている)オタクではない 鑑賞中、私の思考の表面に浮かんでいたことは、この映画は私のためには作られていない、ということだった。 何と言っても本作の世界を構成するカルチャーに馴染みがない。 そもそも私は現代的な配信文化やアイドル文化、そして[[VTuber]]への興味がまったくなく、その延長線上にあり、かつもう少し上の世代向けへ目配せするように配置される[[ボーカロイド]]曲もまったく通ってきていないのだ。 また、SFとしては[[バーチャルリアリティ]]や[[メタバース]]が若者文化として根付いている近未来を描いているが、こちらも好みの題材でない。 何を隠そう、私は2010年代後半に毎年のように「VR元年」などと言って持て囃されたVRブームの熱気に乗ろうと金と時間を消費したものの、早々に飽きてしまった(失望してしまった)人間である。 本作が参照したであろう[[VRChat]]は[[バーチャルリアリティ|VR]]領域で世界を変えうるポテンシャルを持つ数少ないプロダクトだとは思うが、それも結局は既存のインターネットサービスの延長に見えてしまい、乗れなかったのだ。 辛うじて、本作が描くカルチャーの中で私の人生とかすりそうなところではゲーム文化がある。 例えば劇中の争いはゲームによってなされるが、その一番の参照元はおそらく[[🎮️『League of Legends』]]であり、あいにくこちらも通っていない[^1]。 つまるところ、私は本作がターゲットとしているオタクではないのだ。 しかし、劇中で描かれるカルチャーが身体に合わなかったとしても、その映画そのものが合わないということは決してない。 実際、私は本作をそれなりに楽しんで観た。楽しんで観たからといって、では本作をきっかけに[[VTuber]]や[[VRChat]]に改めて触れてみようとは思わないが、それは[[🎞️『ロッキー』]]に感動したからといってボクシングを観ようとなるわけではないのと同じことだ。 多くの物語はその時々のカルチャーを身にまとっている。その外郭に映るカルチャーが合わなかったとしても、その外郭の内側に埋められた核の部分が好みであれば、その物語に乗ることができる。 私にとって本作はまるで外国映画のような距離感を感じさせるところがある。しかし、多くの外国映画を楽しんで観ることができるように、オタク性の違いが甚だしい本作も楽しんで観ることができるのである。 ### 今は昔、[[『竹取物語』]]といふ物語ありけり 本作はタイトルからも自明なように[[『竹取物語』]]をベースとしている。 日本最古の物語とされ、地上と月世界の関係を描くSFにして、現代的な物語観としては描写や論理構造に破綻を感じさせるシュールな不条理劇でもある。 だから本作も基本はシュールな不条理劇を描いてみせる。 女子高生の**彩葉**([[👤永瀬アンナ]])によって光る電柱から拾われた**かぐや**([[👤夏吉ゆうこ]])。一瞬で成長したかぐやは求婚されるがそれを退け、月世界の従者たちによって月へと帰っていく。 彩葉とかぐやにとっての最大の敵はこのあらすじそのものだ。仲間たちとの愉快な日常を楽しめば楽しむほど、[[『竹取物語』]]をベースにしているがために定められたオチである「月へ帰る」という展開は受け入れがたいものとなる。 だから彼女たちは何世紀という歴史に耐えて今も語り継がれているひとつの物語に対抗しようというのだ。 そのための手段は単純だ。自分で物語を紡ぎ出すこと。[[『竹取物語』]]という確固たる物語を捻じ曲げて、ハッピーエンドを導き出すのだ。 そんな大仕事を成し遂げられると信じることができるのは、この映画が描く世界が(つまり現在が)誰もが自分で物語を創り出す時代であるからだ。テレビや雑誌といった大手メディアを介さずして自己表現し、それを交換し合えることが標準である[[デジタルネイティブ]]世代の感覚が、そんな恐れ知らずな試みを可能にする。 この、定められたレールから自らの手で外れ、それを超克する物語という本作の核には、確かな熱量があったのだ。同時に、配信プラットフォームの中では誰もが物語の語り部たり得るという、本作のカルチャー描写とも見事に符合する脚本である。 ### ふぃぎゅ@メイト 二十年後 [[🎮️『ふぃぎゅ@メイト』]]というゲームがある。 このゲームを愛好する私は、本作の鑑賞後に「これは二十年後の[[🎮️『ふぃぎゅ@メイト』]]だ」と感じた。 2006年にリリースされたこのゲームにはアフターストーリーを描いた[[🎮️『ふぃぎゅ@メイト 一週間後』]]というミニゲームがあるので、さしずめ「ふぃぎゅ@メイト 二十年後」といったところか。 オタクはこの二十年で大きく変わってしまった。 [[🎮️『ふぃぎゅ@メイト』]]の舞台は架空の街だが「アキバロード」と呼ばれている。それは当時の「オタクの聖地」であった秋葉原と、日本橋のオタロードを合体させたものである。 一方、[[🎞️『超かぐや姫!』]]では劇中で秋葉原のアの字も感じさせない[^2]。特定の物理的な場所ではなく、偏在するネット空間の中にオタクの現在地はあるということを象徴しているように思える。 劇中で用いられる語彙も異なる。「萌え」という言葉はいつの間にやら耳慣れないものとなり、替わりに「推し」という言葉が人口に膾炙するようになったことは、ご存知のとおりである。 しかし、この二作のお話はかなり似通っている。 異世界からやってきたパートナーとの日常を経て、オタクである主人公が片やフィギュアの改造技術を、片や音楽制作とプロデュース能力を武器に、そのパートナーと目標を達成する。 そんな祭のような日々の後にパートナーは理不尽にも世界から消失してしまう[^3]。そして主人公は、パートナーを取り戻すべく走り始める――。要約するとこんなところだ。 この二十年でオタクは変わった。でも、二十年程度では変わらない本質がある。 それは「好き」を貫くということであり、つまるところが諦めの悪さだ。 たとえ世界が壊れようとも、あるいは[[『竹取物語』]]の筋がそうであろうとも、好きなものを諦めない。 だから私は、今から二十年後のヒット作を相手取って「これは二十年後の[[🎞️『超かぐや姫!』]]だ」とのたまい出す、諦めの悪いオタクが観測されることを楽しみにしたい。 ## 情報 ![[🎞️『超かぐや姫!』#予告編]] ![[🎞️『超かぐや姫!』#主要スタッフ]] ![[🎞️『超かぐや姫!』#関連リンク]] [^1]: ゲーマーとして[[🎮️『League of Legends』|LoL]]と分かる時点でそれを知らない人よりかはネタを拾える立場にあるとは言えるが、さすがに一秒もプレイしたことのないゲームについて知ったかぶりをするほど面の皮は厚くない。 [^2]: そしていまや秋葉原はオタクの物語の舞台として真っ先に上がる対象ではない [^3]: ここで[[🎮️『ふぃぎゅ@メイト』]]では「世界を取るか、ヒロインを取るか」という、いわゆる[[セカイ系]]にありがちな二択を迫るところを、[[🎞️『超かぐや姫!』]]では彩葉個人の問題としているところに現代らしさを感じる。