# 2026-10-20 [[🎞️『我々は宇宙人』]]を観る ## 感想 劇場で鑑賞。 ![Xユーザーのこーしんりょー@SpiSignalさん: 「『我々は宇宙人』観た。究極的には他者とは分かり合えない系映画であるが、あいつが宇宙人のように見えるのと同じように、あいつから見て俺も宇宙人だったという視点が加わることで、「分かり合えない我々」という逆説的な連帯が生じる。最後のあれは泣く。」 / X](https://x.com/KO_SHIN_RYO/status/2112403031384101085) >[!info] > ![[🎞️『我々は宇宙人』#概要]] ### 学校という空間 写実的な背景描写と[[ロトスコープ]]を用いたアニメーション表現に目が留まり、半年ほど前から気になっていた作品だ。 公開の一月ほど前から試写での反応が凄まじく、いったいどんな作品なんだろうと思っていた。 観て納得。アニメーション表現としての達成度の高さはもちろんのこと、観る者の心をざわつかせ、自分語りを誘発するストーリーが展開されるのだ。 小学校三年生で出会い、親友になった二人の男の子の半生を描く内容で、同じく[[ロトスコープ]]を活用したアニメーション映画である昨年の[[🎞️『ひゃくえむ。』]]を想起させられる導入。 [[コラショ]]の目覚まし時計や[[ゲームボーイアドバンス]]など、2000年頃に少年時代を過ごしたことが分かるアイテムの使い方と、特定の地域性を感じさせない小学校の雰囲気がノスタルジーを強烈に喚起する。学校という空間は基本的に居心地が悪い場所なので、[[🎞️『桐島、部活やめるってよ』]]同様にリアルに描けば描くほど、ひたすら嫌な思い出ばかりが頭に浮かぶものだ。 3年生のときは「相棒」だったのに、次第に世界の見え方が違っていって、最後には疎遠となる。その過程で相手へのイジメにも加担してしまう。完全に一致はせずとも身に覚えのある嫌な感じが蘇る。 3年生からはじまり、4年生、5年生とポンポンと時間が飛ぶのは実写で撮るのは難しく、アニメーションだからこそ可能な話運びだ。成長期の身体は確実に変容し、「格好いい」と思う対象は変化していき、世界から新鮮なものが次々と無くなっていく。そんな小さいながらも決定的な変化を、同じ子供たちを撮影しながらリアルに捉えようとすれば、実際に三年間を費やす必要がある。そこを絵でカバーしているのだ。 ふたりの男の子がそれぞれ独立して心身が変わっていく。そうして袂を分かつことになったふたりが、さらに時間を重ねてしまい、一方は罪悪感をぼんやりと、一方は恨みを無限に募らせていく。そんなふたりが再会するシチュエーションといえば――ああ、いやだいやだ。 ### 分かり合えなさが映画の外の世界にまで広がっている そんなドラマの背景は非常に写実的で、たまに主要人物の姿が映らない空間を捉えるショットがこのアニメーションの世界を現実と橋渡しする。 個人的に好きなディテールが体育館の天井に挟まったバレーボール。こうした「実際に見たことのある風景」が挟まることで、アニメの中で繰り広げられる情動が現実に持ち込まれていく。 その情動の発生源は「相手のことを完全に理解することができない」ということではないか。すべての七転八倒はこの原理に端を発するような気がしてくる。そして、この問題を克服しようとするならばもう[[人類補完計画]]を実現するしかない。 私はあの人を完全には理解できない。まるで宇宙人のようだ。だからすれ違う。 しかし、あの人も私を完全には理解できない。きっと宇宙人のように。やっぱりすれ違う。 だけど、「互いに相手のことを完全には理解できない」という共通点によって、私とあの人は逆説的に連帯することができる。だから、我々は宇宙人なのだ。 ## 情報 ![[🎞️『我々は宇宙人』#予告編]] ![[🎞️『我々は宇宙人』#主要スタッフ]] ![[🎞️『我々は宇宙人』#関連リンク]]