# 2026-10-31 [[🎞️『mentor』]]を観る
## 感想
劇場で鑑賞。
>[!info]
> ![[🎞️『mentor』#概要]]
### 謝罪と涙活
[[👤𠮷田恵輔]]監督作を観ると、毎回「最高傑作だ」と感じる。それくらい安定して高い品質の作品を連発しているのだが、それ以上に「毎回同じような話をしている」のが大きいのではないかと今作で思った。
何か取り返しのつかない出来事が序盤から中盤にかけて起こり、その取り返しのつかなさにどう折り合いをつけていくのか。特に[[🎞️『空白』]]以降は毎回この話をしているのだ。
それでいて味変が巧い。今回の[[🎞️『mentor』]]では、他者の家族の命を奪ってしまうという、[[🎞️『空白』]]にも通じる「取り返しのつかない出来事」が描かれる。しかし、最初から最後まで重いドラマが続く[[🎞️『空白』]]に対して、今作は笑えない出来事を起点としながら、無性に笑えてしまうブラックコメディになっているのだ。
この差を生み出すのは細かなシチュエーションの差異だ。
今作の場合、確かに悲惨な出来事ではあるが「子どもがやったこと」だからこその責任の取りようのなさがある。加害者も被害者も中途半端な思いを抱えたまま、15年もの月日が経過し、ようやく本編が始まる。
加害者のひとりである**拓海**([[👤末澤誠也]])はこの15年間、罪悪感を日々膨らませながら、空っぽの気持ちで仕事をし、被害者への賠償金を払い続けている。そんな彼が、かつて自分が起こした火事の被害者である**埜本**([[👤綾野剛]])とひょんなことから再会し、謝罪することになる。ところが埜本は成長した拓海を抱きしめて優しい言葉をかけてやる。その寛容さに心酔した拓海は埜本をメンターと呼び、慕うようになるのだが……。
確かに、15年にわたる反省の日々を肯定してくれる埜本の存在が、拓海にとって神のように思われたとしても不思議ではない。だとしても、その過剰な心酔ぶりにはどうしても笑ってしまう。
加えて、この拓海の謝罪は彼にとって人生最大の成功体験となってしまう。だからこそ、同じアパートに住んでいた他の住民たちにも謝りに行こうという、正しいのか正しくないのか判断のつきにくい微妙な行動に邁進していくことになる。
世間では「<ruby>涙活<rt>るいかつ</rt></ruby>」といって、積極的に涙を流すことでデトックス効果やストレス解消を図るという、個人的には怖気立つほどに気味が悪いと感じる活動に取り組む者たちがいるという。
なぜ気味が悪いのかを少し考えてみると、「涙を流す」という強い情動を得ることが消費行動において優先されていることに、予定調和的な空虚さを覚えるからだ。==ふとしたことで心を動かされる人の姿に私は美しさを覚えるが、一方で自ら積極的に心を動かされに行く人の姿は滑稽に思える==。
例えば、[[🎞️『ファイト・クラブ』]]では自分とは関係のない集団セラピーに通い、難病でもないのに慰め合うことで安眠を得る主人公が描かれる。集団セラピー中毒に陥り、手軽に感情を解放することで不眠症に抗う、滑稽な男だ。
そして本作の拓海も、謝罪という形式を利用して涙活をしている男といえるだろう。滑稽でおかしい、シュールで空っぽな人物が、謝罪という「派手なパフォーマンス」で笑かしてくる。まるで笑えない事件によって生まれた特異なコメディアンという拓海のキャラクターは、本作の大発明だと感じた。
### 𠮷田恵輔ユニバース
これまでの作品にもそういう要素があったのかもしれないが、本作では過去の[[👤𠮷田恵輔]]作品とリンクする小ネタが多く仕込まれていた。
特に分かりやすいのは自分の子どもに「みらいの里へ連れて行くわよ」と注意する母親。「みらいの里」は前作[[🎞️『四月の余白』]]の舞台である更生施設であり、このセリフのニュアンスはあの作品のラストを喚起させられる。
また、駅のロータリーの場面では背景に行方不明の子どもを探している旨の看板が立っているのだがこれは間違いなく[[🎞️『ミッシング』]]の主人公家族を思い起こさせるアイテムだ。
𠮷田恵輔ユニバースでは日々、取り返しのつかない出来事が起き、その出来事に右往左往され、折り合いをつけようとする人々がいる。なんとも息苦しそうな世界だが、それが現実というものなのだ。
## 情報
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